法華講員・樋田昌志、浅野総部長との法論から2度目の逃避! 自宅に立て籠り遠吠えする樋田と律宗・良観との共通点を考察する

「樋田昌志」とは

 

 顕正会の浅野恭浩総部長について、自宅の一室で1人、「とっても怖いです。すごく恐怖に怯えてます、毎日」とカメラに向かって語る人物がいる。

 

 日蓮正宗の末寺・妙相寺に所属する法華講員・樋田昌志である。

 

 これまでインターネット上で浅野総部長や顕正会のことを居丈高に中傷してきた樋田に、一体何があったのか――。

 

浅野総部長が樋田の自宅を「訪問」

 

 答えは樋田のサイトにあった。先般、浅野総部長らが樋田の自宅を訪問したというのである。つまり、樋田は浅野総部長と再び相対することになったのだ。

 

※1回目の法論の様子については、「浅野総部長らが法華講員・樋田昌志を論破!「敗走」を糊塗する樋田昌志の欺瞞を検証する」を参照。

https://matsudai-bonbu3.hatenablog.com/entry/2019/03/05/%E6%B5%85%E9%87%8E%E7%B7%8F%E9%83%A8%E9%95%B7%E3%82%89%E3%81%8C%E6%B3%95%E8%8F%AF%E8%AC%9B%E5%93%A1%E3%83%BB%E6%A8%8B%E7%94%B0%E6%98%8C%E5%BF%97%E3%82%92%E8%AB%96%E7%A0%B4%EF%BC%81%E3%80%8C

 

 そうであれば、樋田にとっては前回の法論から「敗走」した汚名をそそぐ無二の好機。「法を壊る者を見て責めざる者は、仏法の中の怨なり」(滝泉寺申状)との御金言もある。

 常日頃、「顕正会をはじめとするあらゆる邪宗教撲滅を生涯の目的としている」(同人のツイッターアカウントより)と公言して憚らない樋田昌志であれば、さぞ勇敢に振る舞い、堂々たる法論をするであろう――と彼のシンパの法華講員らは信じていたに違いない。

 ところが、現実の樋田の振舞いは、全く異なるものであった。

 

自らネット上に公開した浅野総部長とのやりとり

 

 実は樋田は、浅野総部長とのやりとりをひそかに撮影し、その動画を自らネット上に公開していた。ゆえに第三者も当日のやりとりを知ることができる。

 ここに、「顕正会をはじめとするあらゆる邪宗教撲滅を生涯の目的としている」と公言する樋田昌志の「嘘偽りなき真実の姿」を示そう。

 彼の「激闘」は、インターフォン越しの会話から始まる――。

 

樋田:どちらさん?

 

浅野:あのー、顕正会の浅野ですけれども。

 

樋田:(平静を装いつつ)何の用です?

 

浅野:ちょっとお話がしたいと思いまして。

 

樋田私は必要ない。帰んな。1回目。

 

浅野:ええ。

 

樋田:(動揺した様子で)帰らな、帰りなさーい。2回目。さあ、どうする?

 

浅野:あの、じゃあ表でもお話しできませんか?

 

樋田:(困惑した様子で)えー、必要ないと言っているんだが。

 

浅野:ああ、そうですか。

 

樋田:(動揺した様子で)ここはあのー、所有権全部、マンション全体が共住してるんだから。

 

浅野:はい。

 

樋田:やってることわかってんね?3回目。帰れ。

 

浅野:じゃあ、帰りますので。はーい。(と述べて、帰路につく)

 

樋田:(興奮した様子で)バカ!愚かもんが!・・・バカ!愚かもんが!・・・負け犬!・・・じゃあなっ!

 

浅野:帰りますよ?

 

樋田:(なおも興奮した様子で)負け犬!帰れ、帰れ!・・・記録、おま、こっちも撮ってるから。いいな!?

 

(以上、樋田のサイト「02 顕正会幹部三人組アホ面晒して樋田宅”訪問”」https://www.youtube.com/watch?v=u-3DeYOjMoQ16:39~より)

 

 いかがであろうか。これが「顕正会をはじめとするあらゆる邪宗教撲滅を生涯の目的としている」と公言する樋田昌志の「嘘偽りなき真実の姿」である。

 彼はインターフォン越しに浅野総部長と相対しながら、「私は必要ない。帰んな」、「帰らな、帰りなさーい」、「えー、必要ない」、「帰れ」と必死に言い募り、一切の対話から逃避してしまったのだ。

 

 それだけではない。樋田は浅野総部長らが帰路についた途端、それまで抑えていた感情が一気に噴出したのであろう。ひとり暗い室内で、「バカ!愚かもんが!・・・バカ!愚かもんが!・・・負け犬!・・・じゃあなっ!」、「負け犬!帰れ、帰れ!・・・記録、おま、こっちも撮ってるから。いいな!?」等と興奮した様子で喚き続けたのである。

 堂々と対話を求めた浅野総部長と、「帰らな、帰りなさーい」等と動揺した様子で対話を拒否し、暴言を吐き続けた樋田。どちらが「負け犬」であるかは読者の判断にお任せするが、これを「遠吠え」というのである。

 

 樋田は浅野総部長らの訪問がよほど恐ろしかったとみえ、動画の冒頭部分には、浅野総部長らの様子を、息をひそめて撮影している様子が克明に記録されている(16:39~16:52)。

 また、インターフォンのモニターを撮影する動画は激しく揺れていた。手の震えが止まらなかったのであろう。

 

 かくして樋田は先の動画において、「とっても怖いです。すごく恐怖に怯えてます、毎日」と自らの心境を切々と語っているのである(4:50~)。

 

浅野総部長を危険人物であるかのように語る樋田

 

 さて、以上の顛末を知った樋田のシンパたちは、果たしてどのように感じるであろうか――。

 おそらく一切の先入観なしに先の動画を見た場合、「なぜ樋田は浅野総部長の相手をしなかったのか」、「なぜ逃げてしまったのか」と訝しがるであろう。

 そこで樋田は動画を公開するにあたり、得意の印象操作を存分に行っている。すなわち、肝心の浅野総部長とのやりとりは動画の最後に配置し、それ以前の部分において、樋田が浅野総部長との対話から逃避したことがいかにやむを得なかったかということを長々と釈明しているのである。

 

 たとえば樋田は、浅野総部長があたかも危険な人物であるかのように印象づけようと、「ヤ〇〇」になぞらえて次のように語っている。

 「あのー、ヤ〇〇って、今までも、多少私も接触した経験があるんですけど、あの一応表向きはメチャメチャ慇懃に応対するよね。最初はね。で、どっかで向こうがタイミングを見っけて、『なめとんのか、コラ~!!』ってこう、いきなりこうドカーンと来るっていうね、あのー、そういうテクニックを、ほんと、ちょっとこう感じ、感じさせるような慇懃さを感じましたよ」(16:11~)

 しかし、動画(16:39~)を見れば明らかなように、浅野総部長は終始丁寧な口調で対話を求めているだけであり、そのような素振りは微塵もない。樋田は「なめとんのか、コラ~!!」と大声を出し、渾身の気迫で「ヤ〇〇」を熱演していたが、そのようなやりとりは彼の脳内にしか存在しないのである。

 

浅野総部長との従前のやりとりを都合よく解説する樋田

 

 また、樋田は浅野総部長との従前のやりとりにつき、「こちらからは教義的な観点で幾度となく追及しているにもかかわらず、浅野氏からはただ樋田の人格を貶める悪口・罵詈雑言のみが発せられるだけで“教義的”な反論は全くなされていない」と決めつけ、「で、まあ、このことについての証拠資料は、ここに、もう全部、当初からのやつを全部アップしてますから、これをリンクしてもらうとその内容に入れます」と述べ、メールでのやりとりを自身のサイトで公開している。

 しかし、公開されたやりとりを見る限り、樋田が浅野総部長と相対しながら一切の対話を拒否して「逃避」した振舞いを正当化する事情は見当たらない。

 むしろ樋田が公開したメールのやりとりからは、浅野総部長が樋田に対し、「だから何度も伝えているでしょう。「話を聞いてあげるから私の目の前で話してごらん」と」、「そろそろ鍵のかかった暗い部屋でブツブツつぶやくのはやめて、堂々と私の前に出てきなさいな」等と促しているにもかかわらず、その都度、樋田が全く無関係な話題を持ち出して殊更対論を避け続けてきた様子が窺われる(http://toyoda.tv/asano.kyohakuzai.htm)。

 そのような樋田のもとへ、ある日、浅野総部長が訪問してきたのである。彼が狼狽するのも無理はない。その恐怖心が、「帰らな、帰りなさーい」、「バカ!愚かもんが!・・・バカ!愚かもんが!・・・負け犬!・・・じゃあなっ!」、「負け犬!帰れ、帰れ!・・・記録、おま、こっちも撮ってるから。いいな!?」等の悲痛な叫びとなったのであろう。

 

律宗・良観との酷似ぶり

 

 このように、常日頃は「顕正会をはじめとするあらゆる邪宗教撲滅を生涯の目的としている」などと公言し、いかにも法論に応じるような素振りを示しながら、いざ対論となると逃げ惑う樋田昌志の姿は、誰かに似ていないだろうか。

 

 そう、日蓮大聖人の御在世にいた律宗の僧・良観房(1217年-1303年)である。

 

 大聖人は良観の卑劣な振舞いを「教行証御書」に次のように活写されている。

 「彼の良観が、日蓮遠国へ下向と聞く時は諸人に向って、急ぎ急ぎ鎌倉へ上れかし、為に宗論を遂げて諸人の不審を晴さんなんど自讃毀他する由、其の聞え候。…又日蓮鎌倉に罷上る時は、門戸を閉じて内へ入るべからずと之を制法し、或は風気なんど虚病して罷り過ぎぬ」と。

 良観は大聖人が遠国へ下向と聞くときは、諸人に向かって、「急いで鎌倉へ上ってこい。宗論を遂げてどちらが正しいか諸人の不審を晴らそうではないか」などと自讃毀他していたが、大聖人が鎌倉に上るときは、門戸を閉じて「内へ入ってはならない」と制し、あるいは仮病を使ってやり過ごしていた、というのである。まことに驚くほどの酷似ぶりではないか。

 彼の良観房の姿を現代に移した「実写版」ともいうべきものが、今回の動画といえよう。実に迷作である。

 

公権力に泣きつく

 

 ちなみに、良観はその後どうしたか。彼は大聖人に歯が立たないことを誰よりも知っている。ゆえに見栄も外聞もかなぐり捨てて公権力に泣きつき、大聖人を斬罪に処すべき旨を訴えた。そのさまは、「極楽寺の生仏の良観聖人、折紙をささげて上へ訴え」(妙法比丘尼御返事)と伝えられている。

 一方、樋田はその後どうしたか。なんと、彼もまた公権力に泣きつき、助けを乞うたのである。

 先の動画によると、樋田は浅野総部長らの訪問後、警察へ相談に行ったそうである。しかし、浅野総部長らは丁寧な口調で対話を求めただけであるから、警察が事件として取り上げるはずもない。樋田は、「今後、今後の彼らの動向いかんでは、即対応して頂ける手はずになっていると。次なんか起きたらもう即警察に電話してくださいねっていうことになっております。あの、来ただけで。彼らがうちに訪問しただけで、もう電話してもらって構わないと、いうことになっておりますね」などと述べているが(6:42~)、要は事件として取り上げてもらえなかったのである。

 

 このように、常日頃は居丈高な発言をし、いかにも法論に応じるような素振りを示しながら、いざ対論となると逃げ惑い、最後には公権力に泣きついて助けを乞う――。これが妙相寺樋田と極楽寺良観との共通点である。

 日蓮大聖人に背く謗法者は、かかる特徴を自然と具備するようである。