法華講員・樋田昌志が顕正会教学部との法論から敵前逃亡! 大阪法論をめぐる醜態を糊塗する樋田昌志の欺瞞を検証する

 「樋田昌志」とは

・「ヴわば~はhっはhhっは~!

・「あほだ~~。

・「ほほ~?

・「さ~~て~?

・「いいですかぁ~?

・「理解でっきまっすかぁ~?

 皆さんは、これらが誰の言動かご存知だろうか。

 顕正会創価学会を誹謗する自撮り動画をしきりにYouTubeにアップしている法華講員・樋田昌志のそれである。

 日蓮大聖人の御遺命に背く宗門に身を置くと、こういう人間になるという良きサンプルである。良識ある人々であれば、およそ「理解」し難いところであろう。

 さて、この樋田昌志、以前に顕正会の浅野恭浩総部長らと法論を行った。その際、浅野総部長から理詰めにされた樋田は、回答不能に陥った末、「俺、もう無理」、「あなたが逃げるって言うんだったらそれもいい」等と述べて逃げ出してしまった。まさに敗走である(この法論の詳しい内容及び検証結果は、下記の記事を参照)。

浅野総部長らが法華講員・樋田昌志を論破!「敗走」を糊塗する樋田昌志の欺瞞を検証する

https://matsudai-bonbu3.hatenablog.com/entry/2019/03/05/%E6%B5%85%E9%87%8E%E7%B7%8F%E9%83%A8%E9%95%B7%E3%82%89%E3%81%8C%E6%B3%95%E8%8F%AF%E8%AC%9B%E5%93%A1%E3%83%BB%E6%A8%8B%E7%94%B0%E6%98%8C%E5%BF%97%E3%82%92%E8%AB%96%E7%A0%B4%EF%BC%81%E3%80%8C

大阪法論で敵前逃亡

 その樋田昌志が、今度は大阪で顕正会教学部と法論を行うことになったらしい。ところが樋田は、法論の日時・場所・条件等が確認され、後は会場へ赴けば法論が実現するという段になって、なんと法論から逃避してしまった。当日、会場に行くことすらできなかったのである。大方、浅野総部長らとの法論で面詰されて敗走せざるを得なくなった恐怖体験から、再び法論の場に出ることができなかったのであろう。

 しかるにこの樋田、自らの「敵前逃亡」という恥辱を糊塗するために、後になって会場へ行けなかった「釈明」を尤もらしく述べているという。まことに惨めな男である。

 とはいえ、樋田をリスペクトする一部の法華講員などは、「樋田が法論から逃げるはずない」という願望のもと、樋田が書いたひどく冗長な「言い訳」文章を読み進めるうちに、見事に自己洗脳を完了し、「樋田さんは逃げていない!」「顕正会教学部が逃げたんだ!」と勘違いすることであろう。

 そこで、以下では、樋田昌志が宣伝する大阪法論についての釈明を検証し、もって、「樋田昌志が顕正会教学部との法論から敵前逃亡した」という事実を簡潔に示すことにする。なお、検証に用いるメール等は、いずれも樋田自身がネット上に公開しているものである。

※参考

http://toyoda.tv/kensyo/kensyo.horon.kousyo.htm

樋田昌志が顕正会教学部から敵前逃亡した事実

 事の発端は、2019年3月26日、樋田一派と思しき法華講員が知人の顕正会員に対し、「ところで、法華講の樋田さんとお会いしますか」とのメールを送信したことに始まる。その後、この法華講員と顕正会員を通じて、樋田昌志と顕正会教学部との間で法論の日程や条件等の調整が行われた。その結果、法論前日までに概ね下記の内容が双方で確認された。

〇日時:

2019年05月28日 19:00~21:00

〇場所:

大阪市淀川区西中島7-2-13

エキチカ会議室ブライト メゾン第3新大阪401

〇人数:

両者とも人数は3人以内とする。但し、発言は1人ずつ行う。

〇条件:

①樋田昌志に関する条件

 宗門の出版物ならびに樋田昌志の所行や同人が関与している印刷物・ウェブサイトに御金言および歴代先師上人の御指南と照らして違背・誤りや虚偽(世間的なものも含む)があった場合、ユーチューブ上に謝罪動画をアップする等、相応の謝罪・訂正をするとともに、法華講における役職を辞して日蓮正宗に関する一切の活動を謹慎すること。

顕正会教学部に関する条件

 顕正会の出版物ならびに対論する教学部委員の所行や同人が関与している印刷物・ウェブサイトに御金言および歴代先師上人の御指南と照らして違背・誤りや虚偽(世間的なものも含む)があった場合、ユーチューブ上に謝罪動画をアップする(なお、この場合、対論した教学部委員は、当該動画のURLを速やかに樋田に伝える。樋田は当該動画を転載することができる。)等、相応の謝罪・訂正をするとともに、顕正会における役職を辞して顕正会に関する一切の活動を謹慎すること。

③双方とも法論の様子は録音・公開して良い。

 いかがであろうか。賢明な読者であれば、すでに双方が議論を戦わせるのに十分な内容が確認されていることに、容易に気づくことであろう。

 後はただ、双方が上記の日時・場所で対面し、いずれが正、いずれが邪であるかについて議論を尽くせば良い。これでどうして法論ができないことがあるだろうか。

 ところが、樋田昌志は、結局、法論の場に出てくることができなかった。それだけではない。顕正会教学部から「もし現時点で既に怖気づいてしまい、明日会場に行きたくないというのであれば、遅くとも明日の正午までに、その旨を連絡してこい」と事前に通告されていたにもかかわらず、法論の場に行かない旨を連絡することすらできなかったのである。

 こうして、法華講員・樋田昌志は、浅野総部長らとの法論に続き、大阪における顕正会教学部との法論からも「敵前逃亡」したのであった。

樋田昌志の「釈明」を検証する

 さて、先に触れたとおり、樋田は、顕正会教学部との大阪法論から逃避した理由について、後になって様々な「釈明」をしている。

 読者の中には、「法論の日時・場所等が決定していながら、直前になって逃げ出した卑劣漢が、今更何を」と呆れる方もいるかもしれないが、彼は彼なりに一所懸命なのである。ここは1つ、寛大な心で、彼の言い分に耳を傾けてあげることにしよう。

 樋田の釈明をまとめると、概ね次のようになる。

① 双方で合意に至った先の条件に加えて、さらに樋田が提案する「基本的法論約定(草案)」(ないしこれを「ベース」とする約定)を顕正会教学部が承諾しない限り、法論には応じない。

② 浅野総部長らと法論した際、まともな法論にならなかった。この点からも①の約定が必要である。

 それでは、順を追って検証してみよう。

 まず①について。先に見たとおり、すでに双方が法論を行うのに十分な内容が確認されており、後は約束通り会場へ赴けば法論が実現したのであるから、①は法論逃避の理由にならない。

 樋田が真の実力者であれば、堂々と会場へ赴き、顕正会教学部を見事に屈服させ、それを広くネット上に公開すれば良かったのである。しかし、浅野総部長らとの法論の様子をみる限り、樋田にはそのような実力も度量もなかったのであろう。これでは、単なる「臆病者」と評されても致し方あるまい。

 なお、樋田が提案する「基本的法論約定(草案)」なるものは、「一人一枠1分以内で、相手側の詰問に、反論不能状態が30秒以上続いた場合」等を「敗北の条件」とするものである。おそらく樋田は、「法論」を小学生のディベートか何かと勘違いしているのであろう。

 実際、樋田は顕正会教学部に宛てたメールにおいて、「真に実力があり、正当な法論を真剣に望む者ほど厳格・明瞭なルールを必要とする」などと書いている。

 しかし、日蓮大聖人が佐渡で数百人の謗法者らを破折・屈服せしめた「塚原問答」のとき、細かい「ルール」を要求されたであろうか。日興上人が伊豆流罪の折、熱海の真言僧・金剛院行満を帰伏させたとき、あるいは走湯山で山内随一の学匠・式部僧都と法論したときに、細かい「ルール」を要求されたであろうか。日目上人が大聖人の御指名に従い、叡山の学匠・二階堂伊勢法印と法論したとき、細かい「ルール」を要求されたであろうか。樋田の理屈によれば、恐れ多くも大聖人から日目上人に至るまで、みな「真に実力があり、正当な法論を真剣に望む者」ではなかったことになる。

 いや、あの妙観講の大草一男ですら、分を弁えず顕正会・浅井会長との法論を「促す」などと「慧妙」に掲載した際には、「法論の条件は『敗者が勝者の弟子となる』ただ、この一箇条である」とだけ書いている。

 一方、すでに法論の日時・場所・条件等が決まっていながら、樋田のように自作の細かな「ルール」への承諾を相手に要求し、相手からそれが不要である旨を論証され、かつ、どうしても加えてほしい条件があるなら会場で聞いてやる旨を告げられてもなお、あくまで細かな「ルール」を要求し続け、結局、相手に無断で法論から逃避した者が、かつて宗門にいたであろうか。

 まさに知るべし、「真に実力があり、正当な法論を真剣に望む者」は、自ら細かな「ルール」を作って相手に承諾を要求したり、相手がこれに承諾しないことを口実に法論から逃避したりすることは、決してしないのである(なお、大草を実力者とする趣旨ではない)。

 むしろ、法論の日時・場所等が決定していながら、このように法論から逃避した者は、宗門七百年の歴史において、おそらく樋田一人であろう。

 何とも恥ずかしい男であるが、その恥ずかしさに気づかずに自ら大宣伝しているあたりが無邪気である。

 次に②は、事実を歪曲したものである。

 樋田は自らの法論敗走を糊塗するために、浅野総部長らについて、「躾の成っていないお行儀の悪い狂徒を、お行儀よく礼儀正しく正当な法論のテーブルに着かせるには、きちんとした決まりごとを定めない限り、不毛なだけ」等と貶めている。

 しかし、浅野総部長らとの法論において、樋田が完全に理に詰まり、回答不能に陥って敗走した事実は、当日の音声データを冷静かつ客観的に検証すれば明らかである。

浅野総部長らが法華講員・樋田昌志を論破!「敗走」を糊塗する樋田昌志の欺瞞を検証する

https://matsudai-bonbu3.hatenablog.com/entry/2019/03/05/%E6%B5%85%E9%87%8E%E7%B7%8F%E9%83%A8%E9%95%B7%E3%82%89%E3%81%8C%E6%B3%95%E8%8F%AF%E8%AC%9B%E5%93%A1%E3%83%BB%E6%A8%8B%E7%94%B0%E6%98%8C%E5%BF%97%E3%82%92%E8%AB%96%E7%A0%B4%EF%BC%81%E3%80%8C

 すなわち、樋田は、浅野総部長から「正本堂は御遺命の戒壇である」旨を断定した菅野慈雲の文証を突きつけられた際、「単なる言い過ぎだ」と弁明した。これに対し、浅野総部長は、「『御遺命の戒壇ではない』建物を、『御遺命の戒壇である』と言っている。ないものをあると言っている。真逆ではないか。単なる『言い過ぎ』というレベルではない」旨を反詰した。すると樋田は、この浅野総部長の追及に対し、ただ「言い過ぎただけ」と繰り返すだけで、この点について明確な反論ができなかった。

 つまり、樋田は、御遺命の戒壇ではない正本堂を指して「御遺命の戒壇である」と真逆のことを断言した所業が、なぜ「単なる言い過ぎ」として許されるのか、その「理由」を全く説明できなかったのである。 

 もしこれが少々頭の回る法華講員であれば、「それは○○○○だから、単なる『言い過ぎ』といえるのだ」などと、尤もらしい理屈の1つでもこねたかもしれない。しかし、おそらく樋田は、思考停止に陥り、まともな反論が思いつかなかったのであろう。まるで駄々をこねる幼児のように、「言い過ぎただけ」と答えになっていない発言を必死に繰り返した。そして、最後までまともな反論ができないまま、「不毛だ」などと格好をつけながら法論から逃走したのである。まことに「幼稚」と評する以外にない醜態である。 

 なお、樋田をリスペクトする一部の法華講員らが、当日の音声データを聞きながらこの事実に気がつかない原因としては、「樋田が負けるはずない」と信じる願望に加え、動画の編集による印象操作の影響が大きいと思われる。 

 そのため、たとえば動画冒頭における樋田の自己弁護的な解説を無くし、浅野総部長らと思しき下手なイラストの代わりに、下記のような樋田のイラストを大々的に画面中央に映し出した上で、背景を段々と暗くしつつ、次第にイラストが小さくなるように(画面の奥へと遠ざかっていくように)編集した映像を作成し、それを見ながら同じ音声データを聞けば、おそらく全く異なる印象を受けるであろう。

 動画のタイトルは、樋田に倣って、「実録音声データ!妙相寺信徒・樋田昌志の臆病と実際の対話での無能ぶりを暴く!」とでもしておこうか。

f:id:matsudai-bonbu3:20200324114225p:plain

(引用元:https://youtu.be/NVNztgWzjcs

  なお、もし法華講員諸氏の中に、自身が動画の映像等による印象操作を受けていることに気づけない、比較的知的レベルの低い方がいるとしたら、先の検証記事を虚心に読み、認識を改めることをお勧めする。

 以上から、法華講員・樋田昌志の顕正会教学部からの「敵前逃亡」に関する釈明が、およそ法論逃避の理由になっていないことが明白となった。

参考:顕正会教学部の樋田に対するメール 

 最後に、顕正会教学部が樋田に対し、法論逃避の直前・直後に送信したメールを、樋田のサイトから引用する(http://toyoda.tv/kensyo/kensyo.horon.kousyo.htm)。樋田の「釈明」を介さずに素直に読めば、事の本質が自ずと明らかになるであろう。 

〇2019年5月28日

樋田(【法華講女子部】)の当方に対する返信は全く内容がなく、また、話題そらしに躍起になる様は哀れというほかない。
怖気づいて悩乱ここに極まり、ついには法論から逃げてしまった。
この期に及んで当方に駄文を送り付ける樋田の腐りきった性根には驚嘆のほかないが、この際、その腐りきった性根を露わにし粉砕しておく。
「さ、もし本気で法論を実現する気ならば、これを読んだら直ぐにでも、上記の法論運営約定について踏み込んで再反論して来い」
樋田は、こう啖呵を切った。
そこで当方は前回の返答で、樋田が提示した「基本的法論約定」なるものがいかに不要であるかを悩乱ペテン師でもわかるレベルで記した
その上で、当方はかつて浅井先生と学会首脳部が「正本堂」の意義付けをめぐり、昭和47年9月に常泉寺にて法論することを宗門内事部が決定した際、内事部が「遵守」するように定めた「条件」5つを引用して示した。


1 両者とも人数は3人以内とする。
2 礼儀正しく、理をつくして話し合うこと。
3 話し合いの途中で、経過や話しの内容を機関紙・口頭等で発表してはならない。又、テープは使用しないこと。
4 意見が通らないからといって、示威行為や非常手段に訴えたりしてはならない。
5 話し合いの結果がまとまったら、総本山に報告すること。又、結果についても、総本山の許可なく発表してはならない。

そこから録音禁止と公開制限の2つを除いた次の3つを「基本的法論約定」に代わる対案として提示した

1 両者とも人数は3人以内とする。
2 礼儀正しく、理をつくして話し合うこと。
3 意見が通らないからといって、示威行為や非常手段に訴えたりしてはならない。

さらに上記3つ以外に、当方に「お願い」があれば、当日聞いてやっても良いと憶病な樋田を気遣い、寛大な姿勢まで示した
このように当方は、樋田の時間稼ぎにつきあい「基本的法論約定」なるものについて踏み込んだ反論をし、対案の提示までしてあげた
しかるに樋田はこの点についてダンマリ、全く反論がない。
傀儡の「【法華講女子部】」を利用して「法論約定がお互いに合意した内容に決まらなければ法論実現は出来ませんし、それを回避すると言う事は顕正会側が、法論実現を断ったとみなされます。」「法華講側の法論約定の交渉に即刻、応じるべき。返答がもし無ければ、顕正会側の敗北とする。」などと頓珍漢な反論をしている。
どうやら樋田は悩乱ゆえに当方が提示した対案が読めないようだ。いや、憶病ゆえに読みたくないだけか。
もはや滑稽である。法華講員は都合が悪くなるといつもこうだ。
これを「逃げ」と言わずして何という。
樋田よ、他人に成りすまして明後日の方を向いた返答をするのではなく、まずは自分の名前で当方に真っ当な反論をしたらどうだ。お前は腹話術師か?
この期に及んで「基本的法論約定」なるものが必要というのなら、その理由を誰もが納得のいくよう説得的に述べ、当方がこれを不要と断じた点に反論してみせろ。
創価学会の幹部でもこういった法論約定に従って法論しますよ?」
これが約定を必要とする理由になるわけがなかろう。
樋田と傀儡法華講員は、邪正を決する「法論」がいかなるものかを全く弁えていないようだ。
前回に引き続き、もう一度「法論」が何たるかを当方が懇切に教えてやろう。
邪正を決する「法論」とは、どちらが正しいのか・間違っているのかを完全に決着がつくまで、要は相手が回答不能に陥って屈服するまで、何度でも徹底的に論判することだ。
そして最終的に回答不能に陥り屈服した敗者は然るべき責任をとる。
ゆえに「常泉寺法論」で浅井先生と学会首脳部は、宗門内事部が決定した5つの条件に従い、実に7回にわたって激烈な論判を行った。
最後、学会首脳部が屈服し、昭和47年10月3日の「聖教新聞」第一面にて正本堂の意義を訂正したのである。
これこそまさに邪正を決する法論である。
樋田がこれまでに「法論」と呼んできたものとは天地の差があろう。
樋田よ、いい加減「法論」の真似事、幼稚な「ごっこ遊び」はやめよ。
また「法論」を小学生のディベートやある種のゲームのような「お遊び」と同列に捉えることもやめよ。
自ら責任すら持ち得ない「双方の機関紙誌に掲載」することを条件に加えてみたり、決着をつけて身を処す覚悟を持ち合わせもせずに「基本的法論約定」などというくだらないものを提示した樋田の行為は、「法論」を貶める行為以外の何物でもない。
まあ、当方としても、樋田に身を処す覚悟がないことは平成17年の公場対決から逃げたことから分かってはいたが。
結局、樋田がキャンキャンと吠える法論約定は、樋田が当方に敗北した際、
「時間切れで負けただけ。内容的には勝っていた」
などと病的な言い訳を述べる準備、あるいは、つまらぬ約定違反を理由にしか当方に勝てないことを認める憶病心そのものという他ない。違うか?
さて、前回の返答でも指摘したが、樋田は当方と法論決着後の身の処し方を決めるやりとりにおいて、
「完全に左右正対称形に転写しましたよ」
と三度もウソを記している。
すでに法論の約定につき樋田が嬉々として「合意」「決定」した「樋田昌志の所行に・・・虚偽(世間的なものを含む)があった」との内容にすでに抵触している。
ゆえに当方は今後、樋田に対し「相応の謝罪・訂正」、「法華講における役職を辞して日蓮正宗に関する一切の活動を謹慎」の履行を求めることとする。
今日までの当方と樋田とのやりとりを見れば、真面目で理性的な法華講員なら、樋田昌志が下劣で憶病なハッタリペテン師であることをよくよく認識できることだろう。
最後に述べておく。
上記のとおり樋田はすでに当方と「合意」「決定」した約定に違反している。
また本日、樋田が法論会場に来なかった場合は「敵前逃亡」確定である
これらの事実をもって、当方は、法華講員・樋田昌志の敗北、顕正会教学部の勝利を宣言することとする。

以上 

〇樋田の法論逃避の直後に送信されたメール

5月28日の法論から完全逃避した樋田に告ぐ。

樋田よ、まずはお前の常識は世間の「非常識」であることを教えておく。

良識ある社会人であれば、法論当日、当方に何ら連絡を寄こさぬまま会場に来ず、法論から逃げ出した非礼を、まずは詫びるのが筋であろう。

当方は法論の前日、樋田に対し、「もし現時点で既に怖気づいてしまい、明日会場に行きたくないというのであれば、遅くとも明日の正午までに、その旨を連絡してこい」と念を押した。

それだけではない。当方はこの期に及んでも樋田が喚き続ける「法論約定」という本来ならば全く取り合う必要のない事項についても、当方が示した対案以外に「お願い」したい条件があれば直接会場で聞いてやってもよい旨も伝えていた。

しかし、この部分については、樋田はあえてスルーした。まさか読み落としたわけでもあるまい。

その直前には、樋田は「法論運営約定」について、こう言っていた。

「もし、この原案のまま受諾できないのならば、今回の敗北約定のように修正案で反論して見せよ。

再三当方から催促してきたはずである。

修正の余地は多くある。

妥協もしてあげよう。……

さ、もし本気で法論を実現する気ならば、これを読んだら直ぐにでも、上記の法論運営約定について踏み込んで再反論して来い。

まだ時間はある。

それが出来なければ、法論以前に、法論するまでもなく君らは敗北決定である。」

これに対して当方は前述のとおり、対案を提示した。

それがどうだ。法論当日、樋田は正午を過ぎても「今日会場には行かない」とか、「延期しよう」といった連絡を何ら当方に寄こさなかった。

ゆえに当方は、約束の時間に法論会場に赴いたが、樋田や法華講員は、約束の時間になっても法論会場に姿を現さなかった。

これを「敵前逃亡」と言うのだ。

「約束を守ることは大事なことですよ」と教えてもらわなければいけない人間が、「法論約定」云々などと言う資格がないことを知れ。

 

それはさておく。

 

人の道にも悖る行為をしておきながら、樋田は全く悪びれることもなく、当方に対し、なおも「必ず正当で精緻な法論を実現し、正邪を決しましょう」などととぼけ、いま必死になって「敵前逃亡」を取り繕うためのパフォーマンスに狂奔している。

見ていて、痛々しくてたまらない。

たしか、樋田は法論約定をする前に法義論争をしないと言っていなかったか?

敵前逃亡の醜態を糊塗するためなら、それまでの主張を変遷させることに何の躊躇いもないところが、ペテン師然としている。

主張がブレまくっているところに、樋田の焦りがよく見て取れるぞ。

まあ、せいぜい「破折している感」をタップリ出して、印象操作をしてくれたまえ。

あがけばあがくほど、樋田の醜悪さが一層際だつというものだ。

 

とまれ、どんなに取り繕うとも、法論当日、約束の時間に樋田は会場に来なかったという事実は動かず、また消えることもない。
顕正会総体として臨んでこい!」
あの威勢(ハッタリ)はどこへやらだ。
以上、前置きが長くなったが、当方は約束した法論の日以降に樋田が何を喚こうが、樋田の敗北、顕正会教学部の勝利をここに宣言する。
樋田よ、もし当方と邪正を決する法論の実施を懇願するのであれば、まずは5月28日の法論から無断で逃避したことにつき、心から反省・謝罪するとともに、「次こそは逃げません」と誓約するように。

以上