法華講員・樋田昌志、浅野総部長との法論から2度目の逃避! 自宅に立て籠り遠吠えする樋田と律宗・良観との共通点を考察する

「樋田昌志」とは

 

 顕正会の浅野恭浩総部長について、自宅の一室で1人、「とっても怖いです。すごく恐怖に怯えてます、毎日」とカメラに向かって語る人物がいる。

 

 日蓮正宗の末寺・妙相寺に所属する法華講員・樋田昌志である。

 

 これまでインターネット上で浅野総部長や顕正会のことを居丈高に中傷してきた樋田に、一体何があったのか――。

 

浅野総部長が樋田の自宅を「訪問」

 

 答えは樋田のサイトにあった。先般、浅野総部長らが樋田の自宅を訪問したというのである。つまり、樋田は浅野総部長と再び相対することになったのだ。

 

※1回目の法論の様子については、「浅野総部長らが法華講員・樋田昌志を論破!「敗走」を糊塗する樋田昌志の欺瞞を検証する」を参照。

https://matsudai-bonbu3.hatenablog.com/entry/2019/03/05/%E6%B5%85%E9%87%8E%E7%B7%8F%E9%83%A8%E9%95%B7%E3%82%89%E3%81%8C%E6%B3%95%E8%8F%AF%E8%AC%9B%E5%93%A1%E3%83%BB%E6%A8%8B%E7%94%B0%E6%98%8C%E5%BF%97%E3%82%92%E8%AB%96%E7%A0%B4%EF%BC%81%E3%80%8C

 

 そうであれば、樋田にとっては前回の法論から「敗走」した汚名をそそぐ無二の好機。「法を壊る者を見て責めざる者は、仏法の中の怨なり」(滝泉寺申状)との御金言もある。

 常日頃、「顕正会をはじめとするあらゆる邪宗教撲滅を生涯の目的としている」(同人のツイッターアカウントより)と公言して憚らない樋田昌志であれば、さぞ勇敢に振る舞い、堂々たる法論をするであろう――と彼のシンパの法華講員らは信じていたに違いない。

 ところが、現実の樋田の振舞いは、全く異なるものであった。

 

自らネット上に公開した浅野総部長とのやりとり

 

 実は樋田は、浅野総部長とのやりとりをひそかに撮影し、その動画を自らネット上に公開していた。ゆえに第三者も当日のやりとりを知ることができる。

 ここに、「顕正会をはじめとするあらゆる邪宗教撲滅を生涯の目的としている」と公言する樋田昌志の「嘘偽りなき真実の姿」を示そう。

 彼の「激闘」は、インターフォン越しの会話から始まる――。

 

樋田:どちらさん?

 

浅野:あのー、顕正会の浅野ですけれども。

 

樋田:(平静を装いつつ)何の用です?

 

浅野:ちょっとお話がしたいと思いまして。

 

樋田私は必要ない。帰んな。1回目。

 

浅野:ええ。

 

樋田:(動揺した様子で)帰らな、帰りなさーい。2回目。さあ、どうする?

 

浅野:あの、じゃあ表でもお話しできませんか?

 

樋田:(困惑した様子で)えー、必要ないと言っているんだが。

 

浅野:ああ、そうですか。

 

樋田:(動揺した様子で)ここはあのー、所有権全部、マンション全体が共住してるんだから。

 

浅野:はい。

 

樋田:やってることわかってんね?3回目。帰れ。

 

浅野:じゃあ、帰りますので。はーい。(と述べて、帰路につく)

 

樋田:(興奮した様子で)バカ!愚かもんが!・・・バカ!愚かもんが!・・・負け犬!・・・じゃあなっ!

 

浅野:帰りますよ?

 

樋田:(なおも興奮した様子で)負け犬!帰れ、帰れ!・・・記録、おま、こっちも撮ってるから。いいな!?

 

(以上、樋田のサイト「02 顕正会幹部三人組アホ面晒して樋田宅”訪問”」https://www.youtube.com/watch?v=u-3DeYOjMoQ16:39~より)

 

 いかがであろうか。これが「顕正会をはじめとするあらゆる邪宗教撲滅を生涯の目的としている」と公言する樋田昌志の「嘘偽りなき真実の姿」である。

 彼はインターフォン越しに浅野総部長と相対しながら、「私は必要ない。帰んな」、「帰らな、帰りなさーい」、「えー、必要ない」、「帰れ」と必死に言い募り、一切の対話から逃避してしまったのだ。

 

 それだけではない。樋田は浅野総部長らが帰路についた途端、それまで抑えていた感情が一気に噴出したのであろう。ひとり暗い室内で、「バカ!愚かもんが!・・・バカ!愚かもんが!・・・負け犬!・・・じゃあなっ!」、「負け犬!帰れ、帰れ!・・・記録、おま、こっちも撮ってるから。いいな!?」等と興奮した様子で喚き続けたのである。

 堂々と対話を求めた浅野総部長と、「帰らな、帰りなさーい」等と動揺した様子で対話を拒否し、暴言を吐き続けた樋田。どちらが「負け犬」であるかは読者の判断にお任せするが、これを「遠吠え」というのである。

 

 樋田は浅野総部長らの訪問がよほど恐ろしかったとみえ、動画の冒頭部分には、浅野総部長らの様子を、息をひそめて撮影している様子が克明に記録されている(16:39~16:52)。

 また、インターフォンのモニターを撮影する動画は激しく揺れていた。手の震えが止まらなかったのであろう。

 

 かくして樋田は先の動画において、「とっても怖いです。すごく恐怖に怯えてます、毎日」と自らの心境を切々と語っているのである(4:50~)。

 

浅野総部長を危険人物であるかのように語る樋田

 

 さて、以上の顛末を知った樋田のシンパたちは、果たしてどのように感じるであろうか――。

 おそらく一切の先入観なしに先の動画を見た場合、「なぜ樋田は浅野総部長の相手をしなかったのか」、「なぜ逃げてしまったのか」と訝しがるであろう。

 そこで樋田は動画を公開するにあたり、得意の印象操作を存分に行っている。すなわち、肝心の浅野総部長とのやりとりは動画の最後に配置し、それ以前の部分において、樋田が浅野総部長との対話から逃避したことがいかにやむを得なかったかということを長々と釈明しているのである。

 

 たとえば樋田は、浅野総部長があたかも危険な人物であるかのように印象づけようと、「ヤ〇〇」になぞらえて次のように語っている。

 「あのー、ヤ〇〇って、今までも、多少私も接触した経験があるんですけど、あの一応表向きはメチャメチャ慇懃に応対するよね。最初はね。で、どっかで向こうがタイミングを見っけて、『なめとんのか、コラ~!!』ってこう、いきなりこうドカーンと来るっていうね、あのー、そういうテクニックを、ほんと、ちょっとこう感じ、感じさせるような慇懃さを感じましたよ」(16:11~)

 しかし、動画(16:39~)を見れば明らかなように、浅野総部長は終始丁寧な口調で対話を求めているだけであり、そのような素振りは微塵もない。樋田は「なめとんのか、コラ~!!」と大声を出し、渾身の気迫で「ヤ〇〇」を熱演していたが、そのようなやりとりは彼の脳内にしか存在しないのである。

 

浅野総部長との従前のやりとりを都合よく解説する樋田

 

 また、樋田は浅野総部長との従前のやりとりにつき、「こちらからは教義的な観点で幾度となく追及しているにもかかわらず、浅野氏からはただ樋田の人格を貶める悪口・罵詈雑言のみが発せられるだけで“教義的”な反論は全くなされていない」と決めつけ、「で、まあ、このことについての証拠資料は、ここに、もう全部、当初からのやつを全部アップしてますから、これをリンクしてもらうとその内容に入れます」と述べ、メールでのやりとりを自身のサイトで公開している。

 しかし、公開されたやりとりを見る限り、樋田が浅野総部長と相対しながら一切の対話を拒否して「逃避」した振舞いを正当化する事情は見当たらない。

 むしろ樋田が公開したメールのやりとりからは、浅野総部長が樋田に対し、「だから何度も伝えているでしょう。「話を聞いてあげるから私の目の前で話してごらん」と」、「そろそろ鍵のかかった暗い部屋でブツブツつぶやくのはやめて、堂々と私の前に出てきなさいな」等と促しているにもかかわらず、その都度、樋田が全く無関係な話題を持ち出して殊更対論を避け続けてきた様子が窺われる(http://toyoda.tv/asano.kyohakuzai.htm)。

 そのような樋田のもとへ、ある日、浅野総部長が訪問してきたのである。彼が狼狽するのも無理はない。その恐怖心が、「帰らな、帰りなさーい」、「バカ!愚かもんが!・・・バカ!愚かもんが!・・・負け犬!・・・じゃあなっ!」、「負け犬!帰れ、帰れ!・・・記録、おま、こっちも撮ってるから。いいな!?」等の悲痛な叫びとなったのであろう。

 

律宗・良観との酷似ぶり

 

 このように、常日頃は「顕正会をはじめとするあらゆる邪宗教撲滅を生涯の目的としている」などと公言し、いかにも法論に応じるような素振りを示しながら、いざ対論となると逃げ惑う樋田昌志の姿は、誰かに似ていないだろうか。

 

 そう、日蓮大聖人の御在世にいた律宗の僧・良観房(1217年-1303年)である。

 

 大聖人は良観の卑劣な振舞いを「教行証御書」に次のように活写されている。

 「彼の良観が、日蓮遠国へ下向と聞く時は諸人に向って、急ぎ急ぎ鎌倉へ上れかし、為に宗論を遂げて諸人の不審を晴さんなんど自讃毀他する由、其の聞え候。…又日蓮鎌倉に罷上る時は、門戸を閉じて内へ入るべからずと之を制法し、或は風気なんど虚病して罷り過ぎぬ」と。

 良観は大聖人が遠国へ下向と聞くときは、諸人に向かって、「急いで鎌倉へ上ってこい。宗論を遂げてどちらが正しいか諸人の不審を晴らそうではないか」などと自讃毀他していたが、大聖人が鎌倉に上るときは、門戸を閉じて「内へ入ってはならない」と制し、あるいは仮病を使ってやり過ごしていた、というのである。まことに驚くほどの酷似ぶりではないか。

 彼の良観房の姿を現代に移した「実写版」ともいうべきものが、今回の動画といえよう。実に迷作である。

 

公権力に泣きつく

 

 ちなみに、良観はその後どうしたか。彼は大聖人に歯が立たないことを誰よりも知っている。ゆえに見栄も外聞もかなぐり捨てて公権力に泣きつき、大聖人を斬罪に処すべき旨を訴えた。そのさまは、「極楽寺の生仏の良観聖人、折紙をささげて上へ訴え」(妙法比丘尼御返事)と伝えられている。

 一方、樋田はその後どうしたか。なんと、彼もまた公権力に泣きつき、助けを乞うたのである。

 先の動画によると、樋田は浅野総部長らの訪問後、警察へ相談に行ったそうである。しかし、浅野総部長らは丁寧な口調で対話を求めただけであるから、警察が事件として取り上げるはずもない。樋田は、「今後、今後の彼らの動向いかんでは、即対応して頂ける手はずになっていると。次なんか起きたらもう即警察に電話してくださいねっていうことになっております。あの、来ただけで。彼らがうちに訪問しただけで、もう電話してもらって構わないと、いうことになっておりますね」などと述べているが(6:42~)、要は事件として取り上げてもらえなかったのである。

 

 このように、常日頃は居丈高な発言をし、いかにも法論に応じるような素振りを示しながら、いざ対論となると逃げ惑い、最後には公権力に泣きついて助けを乞う――。これが妙相寺樋田と極楽寺良観との共通点である。

 日蓮大聖人に背く謗法者は、かかる特徴を自然と具備するようである。

創価学会にも敗北した樋田昌志 念仏宗の元祖・法然との酷似ぶりを検証する

「樋田昌志」とは 

 皆さんは、樋田昌志という人物をご存知だろうか。

 

・「日蓮正宗諸葛亮孔明YOUTUBE動画界の黒田官兵衛といわれる天才的な知力と才覚を持つ日蓮正宗法華講員・樋田昌志」(新・日蓮正宗樋田昌志動画選集) 

・「日蓮正宗の電子頭脳的天才軍師にしてYOUTUBE動画界のリアルスーパーマリオといわれる千年に一度の鬼才・樋田昌志」、「世間が看過してしまった千年に一度の天才」(愛・日蓮正宗樋田昌志動画選集) 

・「男が羨み女が惚れる圧倒的な魅力を持った樋田昌志」(熱血!日蓮正宗樋田昌志動画選集) 

・「日蓮大聖人が乗り移ったかのような樋田」(日蓮正宗樋田昌志動画選集)

 

等と一部界隈で称賛されている、中年の法華講員YouTuberである。

 まさか自作自演ではあるまいが、何とも中二病チックである。

 

 ところがこの「リアルスーパーマリオ」、Googleで氏名を検索すると、「樋田昌志 負け」「樋田昌志 顕正会」等のサジェストが出てくる。これは一体どうしたことか。

 実は樋田には、過去3回、顕正会の教学部との法論から敗走ないし敵前逃亡した「前科」がある。さしもの「日蓮正宗諸葛亮孔明YOUTUBE動画界の黒田官兵衛」も、顕正会教学部には敵わなかったらしい。

 

①浅野総部長らが法華講員・樋田昌志を論破!「敗走」を糊塗する樋田昌志の欺瞞を検証する

https://matsudai-bonbu3.hatenablog.com/entry/2019/03/05/%E6%B5%85%E9%87%8E%E7%B7%8F%E9%83%A8%E9%95%B7%E3%82%89%E3%81%8C%E6%B3%95%E8%8F%AF%E8%AC%9B%E5%93%A1%E3%83%BB%E6%A8%8B%E7%94%B0%E6%98%8C%E5%BF%97%E3%82%92%E8%AB%96%E7%A0%B4%EF%BC%81%E3%80%8C

法華講員・樋田昌志が顕正会教学部との法論から敵前逃亡! 大阪法論をめぐる醜態を糊塗する樋田昌志の欺瞞を検証する

https://matsudai-bonbu3.hatenablog.com/entry/2020/03/24/%E6%B3%95%E8%8F%AF%E8%AC%9B%E5%93%A1%E3%83%BB%E6%A8%8B%E7%94%B0%E6%98%8C%E5%BF%97%E3%81%8C%E9%A1%95%E6%AD%A3%E4%BC%9A%E6%95%99%E5%AD%A6%E9%83%A8%E3%81%A8%E3%81%AE%E6%B3%95%E8%AB%96%E3%81%8B

法華講員・樋田昌志が顕正会教学部から3度目の敗走! 長野法論逃避の正当化を試みる樋田昌志の欺瞞を検証する

https://matsudai-bonbu3.hatenablog.com/entry/2020/03/31/%E6%B3%95%E8%8F%AF%E8%AC%9B%E5%93%A1%E3%83%BB%E6%A8%8B%E7%94%B0%E6%98%8C%E5%BF%97%E3%81%8C%E9%A1%95%E6%AD%A3%E4%BC%9A%E6%95%99%E5%AD%A6%E9%83%A8%E3%81%8B%E3%82%89%EF%BC%93%E5%BA%A6%E7%9B%AE

 

創価学会との裁判でも敗北した樋田

 そして、今般、樋田が創価学会にも敗北したという情報が入ってきた。2020年4月15日付の「創価新報」に、「名誉毀損のデマ動画で長野・妙相寺の元副講頭が全面敗北・東京地裁」と題する記事が掲載されたのである。

参考:https://pbs.twimg.com/media/EV8f-v8UYAAa9Qq.jpg

 記事によると、樋田が創価学会を中傷する動画をYouTubeに投稿したことから、創価学会が2019年4月、樋田に対して損害賠償等を求める裁判を提起した結果、同年12月16日、東京地方裁判所において、次のような内容の和解が成立したそうである。

 

① 樋田が学会に対し、解決金10万円を支払う。

② 樋田が自身のウェブサイト上に「謝罪文」を掲載する。

③ 樋田が学会に対し、「今後、原告(学会)の名誉を侵害する言動や原告の会員の名誉・プライバシーを侵害する言動をしないことを誓約」する。

 

 その結果、樋田は自身のウェブサイト上に、次の「謝罪文」を掲載したという。

 

              謝罪文

 私、樋田昌志は、氏名不詳者との間で、創価学会が殺し屋を雇って、ある企業の社長を射殺させたという内容の会話を行い、この会話を録画した動画から同企業名部分を伏せる編集を施し、平成30年9月8日に「〔衝撃!創価現役副会長の子息が脱会!日蓮正宗へ入信して創価撲滅に進撃開始!〕え~!あの社長射殺事件の裏に創価が絡んでいたって!?039」とのタイトルを付してインターネット上の動画投稿サイト「YouTube」に投稿しました。

 しかしながら、創価学会が殺し屋を雇ってある特定の企業の社長を射殺したという事実については認められませんでした。

 この動画の投稿により創価学会の名誉を毀損して、創価学会にご迷惑をおかけしましたことについて、お詫び申し上げます。

 

 これが事実なら、「YOUTUBE動画界のリアルスーパーマリオ」こと樋田昌志は、創価学会との裁判に敗北し、学会に頭を下げたことになる。

 

 そこで、記事の信憑性について少しく検討してみる。

 まず樋田は、自身のウェブサイト(toyoda.tv)に、「報告」と題する一文を掲載している。そこには、彼が平成31年4月26日、創価学会から裁判を起こされ、同年12月16日に東京地方裁判所で和解が成立し、自身のウェブサイト上に「15行の謝罪文」を掲載するとともに、10万円の解決金を支払った旨が記されている。つまり、樋田自身が、「創価新報」の記事と概ね合致する内容の文章を掲載しているのだ。

 また、常識的に考えても、名誉毀損に関わる裁判で勝利を収めた創価学会側が、わざわざ樋田に揚げ足を取られるような事実無根の記事を書くとは考え難い。

 そうすると、「創価新報」の内容は、おおむね事実なのであろう。つまり、樋田昌志は、創価学会との裁判に破れ、解決金を支払い、謝罪文を掲載して、学会に「お詫び申し上げ」たのである。

 

身内には強がる樋田、過去にも同様の事例が

 ところが、これで話が終わらないのが「日蓮正宗諸葛亮孔明YOUTUBE動画界の黒田官兵衛といわれる天才的な知力と才覚を持つ日蓮正宗法華講員・樋田昌志」である。

 「創価新報」によると、樋田は、和解が成立した1週間後の12月22日、謝罪文を掲載しないばかりか、「学会から裁判を起こされました」とのタイトルで、1本の動画をYouTubeに投稿した。その中で樋田は、裁判に関して、「こっちの反論が結構ね、効いたらしくて、和解するかもしんない」、「意外と向こう(=学会)がさ、腰砕けみたいになってる」、「結構、優勢みたいな」等と述べたという。

 しかし、「創価新報」によれば、樋田は提訴を受けてから、第1回期日も待たずに、直ちに学会側に和解に求めていた。そこで、学会側が、同月25日、樋田に対し、先の動画について抗議したところ、樋田は動画を即日削除し、ようやく自身のウェブサイト上に謝罪文を掲載したという。

 仮にこれが事実であれば、樋田は、自ら和解による解決を求め、かつ、すでに裁判所で全面敗北の和解が確定していたにもかかわらず、約束した謝罪文も掲載せずに、「こっちの反論が結構ね、効いたらしくて、和解するかもしんない」、「意外と向こう(=学会)がさ、腰砕けみたいになってる」、「結構、優勢みたいな」等と事実に反する言説を流布していたことになる。

 果たしてこれが事実かどうか。「学会から裁判を起こされました」という動画を閲覧していないため、安易な断定は控えるが、先に検討したとおり、名誉毀損に関わる裁判で勝利を収めた創価学会側が、わざわざ樋田に揚げ足を取られるような事実無根の記事を書くとは考え難いことからすれば、おそらく事実なのであろう。

 このあたりの事情は、樋田のウェブサイトを日常的に閲覧している取り巻きの法華講員らが良く知っていると思われる。

 ちなみに「創価新報」によると、樋田は、2006年3月にも、自身が作成・配布したビラをめぐる裁判において、ビラの主要部分が事実に反することを認め、「(創価学会の)会員個人の名誉、プライバシーを侵害する言論をしないことを確約」したというから呆れてしまう。

 

念仏宗の元祖・法然との酷似ぶりを検証する

 このように、相手を誹謗する動画やビラを流布し、その違法性を追及されるや、表向きは謝罪・誓約をして恭順を装い、内輪ではなお相手に対する悪言を述べる―。この樋田の振舞い、誰かに酷似していないだろうか。

 

 そう、かの念仏宗の元祖・法然(1133年-1212年)である。

 

 法然がいかなる人物であったかは、「立正安国論謹講」(冨士大石寺顕正会発行)に詳しい。

 

 法然は、〝自分は幼少より叡山に上り一切経を反復し、八宗を究め尽し、なお迷った上に思索し、ついに念仏に到達した〟などともったいつけ、また〝夢で善導のお告げがあった〟などとでたらめをいい、人々に勢至の化身、善導の再誕などと巧みに思わせたのである。

 このような手口は、仏法を曲げ名利を求める魔僧に共通のものであるが、法然の悟りなるものがいかにごまかしで一片の確信もないものであるかは、次の実例で明らかである。

 当時日本仏教界の権威であった比叡山では、法然法華経誹謗があまりに甚しいので、たびたびその謗法を糾弾したが、法然はさぞ信念を述べるかと思いきや、そのたびに右に左に遁辞を構え、あきれたことに選択であれほど諸仏・諸経を捨閉閣抛といいながら、たちまち教義を変更し、「無智不善の輩のしわざ」と信徒に責任を転嫁し、自らは偽りの起請文を提出し、当座の難をのがれていたのである。(中略)

 よほど叡山の責めが恐ろしかったと見え、まことに殊勝な誓状を書いたものである。それでいながら、彼は蔭ではしきりと叡山の悪口を云っていたのである。彼が弟子に送った手紙には「叡山の座主の止観の法門などは、一口に雀のさえずりに過ぎない」とある。まことに呆れるほどの卑劣な振舞いである。

 

 いかがであろうか。一部界隈において、「千年に一度の鬼才・樋田昌志」、「日蓮大聖人が乗り移ったかのような樋田」などといわれている樋田。

 しかしながら、創価学会から動画の違法性を糾弾されるや、右に左に遁辞を構え、呆れたことに自ら動画を作成・公開しておきながら、「(他の男の話を聞いて)相槌を打ったり、驚く反応を示したりしていただけ」(「創価新報」より)などと主張した挙句、「謝罪文」の掲載を約束するとともに、「今後、原告(学会)の名誉を侵害する言動や原告の会員の名誉・プライバシーを侵害する言動をしないことを誓約」し、当座の難を逃れた樋田。

 それでいて、「謝罪文」を掲載しないまま、内輪において、「こっちの反論が結構ね、効いたらしくて、和解するかもしんない」、「意外と向こう(=学会)がさ、腰砕けみたいになってる」、「結構、優勢みたいな」等と事実に反する言説を流布していたという樋田。

 まことに呆れるほど卑劣な振舞いであるが、その法然との酷似ぶりには驚くばかりである。在家・出家の違いこそあれ、「このような手口は、仏法を曲げ名利を求める魔僧に共通のものである」との浅井会長の指摘は、やはり、極めて的確なようである(なお、創価学会を叡山と同視して擁護する趣旨ではない。彼らもまた、大聖人の御遺命に背き、戒壇の大御本尊を捨て奉る大謗法を犯している)。

 

 もっとも、樋田には、法然ほどの知名度は全くない。故に、残念ながら、彼が歴史に名を残すことはないであろう。彼のシンパと思しき者は、「世間が看過してしまった千年に一度の天才」などと樋田を擁護しているが、世間が「看過」しているのには、それなりの理由があるのである。

 いずれにしても、顕正会教学部との法論から3度も敗走ないし敵前逃亡した樋田昌志。また、創価学会との裁判にも破れ、「謝罪文」まで掲載させられた樋田昌志。

 「YOUTUBE動画界のリアルスーパーマリオ」も、そろそろゲームオーバーであろう。

法華講員・樋田昌志が顕正会教学部から3度目の敗走! 長野法論逃避の正当化を試みる樋田昌志の欺瞞を検証する

「樋田昌志」とは

 皆さんは、「樋田昌志」という人物をご存知だろうか。

 現在、Googleで氏名を検索すると、「樋田昌志 負け」「樋田昌志 顕正会」等のサジェストが表示されている法華講員である。

 なぜこのようなサジェストが表示されるのか。それはおそらく、彼が過去に2度、顕正会教学部との法論から敗走又は敵前逃亡したことと無関係ではあるまい。

 1度目は、顕正会の副教学部長である浅野総部長らとの法論。彼はこのとき、理詰めにされて回答不能に陥った末、「俺、もう無理」、「あなたが逃げるって言うんだったらそれもいい」等と述べて、その場から逃げ出してしまった。

参考:浅野総部長らが法華講員・樋田昌志を論破!「敗走」を糊塗する樋田昌志の欺瞞を検証する

https://matsudai-bonbu3.hatenablog.com/entry/2019/03/05/%E6%B5%85%E9%87%8E%E7%B7%8F%E9%83%A8%E9%95%B7%E3%82%89%E3%81%8C%E6%B3%95%E8%8F%AF%E8%AC%9B%E5%93%A1%E3%83%BB%E6%A8%8B%E7%94%B0%E6%98%8C%E5%BF%97%E3%82%92%E8%AB%96%E7%A0%B4%EF%BC%81%E3%80%8C

 2度目は、顕正会教学部との大阪における法論。このときは、法論の日時・場所・条件が確認され、後は会場に赴きさえすれば法論が実現したにもかかわらず、彼は事前に相手に連絡することもなく、やはり法論から逃げてしまった。その結果、顕正会教学部より、樋田昌志の敗北を宣言されるとともに、「樋田よ、もし当方と邪正を決する法論の実施を懇願するのであれば、まずは5月28日の法論から無断で逃避したことにつき、心から反省・謝罪するとともに、「次こそは逃げません」と誓約するように」との通告を受けたのであった。 

参考:法華講員・樋田昌志が顕正会教学部との法論から敵前逃亡! 大阪法論をめぐる醜態を糊塗する樋田昌志の欺瞞を検証する

https://matsudai-bonbu3.hatenablog.com/entry/2020/03/24/%E6%B3%95%E8%8F%AF%E8%AC%9B%E5%93%A1%E3%83%BB%E6%A8%8B%E7%94%B0%E6%98%8C%E5%BF%97%E3%81%8C%E9%A1%95%E6%AD%A3%E4%BC%9A%E6%95%99%E5%AD%A6%E9%83%A8%E3%81%A8%E3%81%AE%E6%B3%95%E8%AB%96%E3%81%8B 

長野における法論からも逃避

 このように、過去に2度、顕正会教学部との法論から敗走又は敵前逃亡した樋田昌志に、名誉挽回の無二の好機が訪れた。顕正会の教学部委員が、樋田の所属する宗門末寺「妙相寺」の住職・落合に対し、法論を申し入れたのである。

 その後、教学部委員と落合との間で数回にわたり協議が行われた結果、令和2年3月6日に法論が実現することになった。当然、樋田の同席も認められている。彼にとっては、まさに名誉挽回のための無二の好機であっただろう。

 ところが、法論直前になって、なんと落合は前言を翻して法論から逃避し、落合から全権委任を受けたという樋田もまた法論から逃避してしまった。ここに彼は、顕正会教学部との法論から3度目の逃避をしたのであった。

 

 もっとも、お決まりのごとく、彼は自らの法論逃避を正当化するために、自身が長野での法論に応じなかった理由を仲間内で尤もらしく述べているという。そして、「顕正会教学部委員の独善性と矛盾を皆で嗤う」とのタイトルのDVDまで作成し、自らのサイト(Toyoda.tv shop)で単価500円(税込)で販売している(商品No565)。

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引用元:http://toyoda.tv/shop_cart/img/000565.jpg

 果たして彼の努力(商売)はどの程度報われているのか。「樋田昌志 負け」とのサジェストを見る限り、その成果は芳しくないように窺われるが、何も知らない一般人や彼を信奉する一部の法華講員などが勘違いをすると不憫であるから、事の本質を明らかにするため、以下、彼が公開しているメールのやりとりに基づき、「樋田昌志が長野での法論から逃避した事実」を示すことにする。

樋田サイトの欺瞞

 樋田は、長野法論から逃避した事実を糊塗するために、「またまたまた顕正会教学部 法論から遁走~!in長野」とのタイトルで、教学部委員とのメールのやりとりをネット上に公開している。また、自らのツイッターアカウントでも、しきりと拡散しているようだ。

参考:

http://toyoda.tv/kensyo.a.htm

https://twitter.com/toyodatv/status/1237270327098408963

https://twitter.com/toyodatv/status/1237271241150451714

https://twitter.com/toyodatv/status/1237277501971247109

https://twitter.com/toyodatv/status/1237277856461254656

 このサイトにはいくつかの欺瞞があるが、まず指摘しておくべき点は、長野法論に際し、最初に教学部委員と妙相寺住職の落合が交わしていた「約束」の存在を隠し、それが無かったかのように取り扱っていることであろう。

 すなわち樋田のサイトでは、冒頭に「実際には使用しなかった」というFAX文章の前文なるもの(以下、「樋田文章」)を掲載した後に、「3月1日」以降のメールのやりとりが掲載されている。

 これにより、樋田は、「3月1日」より前の出来事については、樋田文章によって、自身に都合の良い内容を読者にインプットすることができる(なお、樋田文章は「実際には使用しなかった」そうであるから、かかる文章が実際に当時作成されていたか否かも定かではない)。

 この樋田文章では、教学部委員が妙相寺へ電話をかけて法論を申し込んだ際、「妙相寺住職より『法論の細かい事前打ち合わせを樋田氏と相談してもらいたい』と▼▼氏(注、教学部委員)に伝えてもらってあった」ということになっている。

 しかし、この記述は、教学部委員が3月1日に法華講員に送信した次のメールと平仄が合わない。

窓口とか詳細、連絡とか筋を通せとかいっていますが、今更何を言っているのか意味がわかりません すでに日程はすり合わせているので、あとは当日赴くだけです

 また、後に登場するが、教学部委員が落合に送付した書面によれば、教学部委員は「2月18日」に落合へ法論を申し入れ、数度の話し合いを重ねた結果、次の内容で法論を行う約束になっていたという。

〇3月6日(金)

〇双方3名ずつ

〇法論の詳細は、当日双方の面前にて取り決める

〇議題は、大聖人の御遺命につき、宗門と顕正会といずれが違背しているか

 なお、教学部委員の書面には、法論の約束を交わした際の落合の言動が具体的に記載されている。

 そうすると、果たして教学部委員と落合との間で事前にやりとりがあり、このような「約束」が交わされていたか否かが問題となる。樋田文章では、この「約束」について一切触れられていないからである。

 この点、樋田自身、3月4日に教学部委員に送信したメールには、次のように書いている。「落合御住職の大らかなお人柄へ付け込んで狡猾かつ卑劣に御住職の言質を取った内容を元に、今更何を主張しても全く不毛」と。つまり、樋田は、教学部委員と落合との間で事前にやりとりがあり、法論の「約束」が交わされていた事実(樋田に言わせれば「言質を取った」事実)を認識していたのである。

 また、常識的に考えて、教学部委員が落合に対し、全く存在しない虚偽のやりとりを書面に記載して送付するとも考え難い。

 以上から、長野での法論をめぐるやりとりは、実際には「2月18日」から始まっており、すでに教学部委員と落合との間で法論の「約束」が交わされていたことがわかる。そうであれば、あとは約束通り、3月6日に妙相寺で双方対面し、堂々と法論を行えば良かったことになる。

 ところが、その後、落合は前言を翻して法論から逃避し、樋田もまた大阪法論のときと同様、自らが作成した細かな「ルール」を承諾しない限り法論には応じない旨を言い張り、結局、当初の約束を反故にし、法論から逃避したのであった。

 おそらく樋田は、かかる経緯を知られたくなかったのであろう。教学部委員と落合との間で交わされた当初の「約束」には一切触れず、サイト冒頭に「以下はその始まりから全ての経緯である」などと書き、自身に都合の良い事実経過を記載した樋田文章を掲載しているのである。これが欺瞞の第一である。

 

 欺瞞の第二は、当事者間のやりとりを公平かつ客観的に列挙するのではなく、時折、自身のコメントを差し挟むことで、読者に対する印象操作を行っていることである。この無駄に冗長なコメントにより、読者が問題の所在と議論の筋道を把握することが困難となっている。

 そこで、以下では、樋田のコメントを除去し、彼がサイトに掲載しているメール等に基づき、事実経過の骨子を時系列に沿って整理する。

参考:http://toyoda.tv/kensyo.a.htm

樋田昌志が長野法論から逃避した事実

〇2月18日

 教学部委員落合:法論の申し入れ

 その後、数度の話し合いを重ね、3月6日に法論を行う約束(3対3など)。

〇3月1日

 落合教学部委員:樋田と事前に約定を交わしてほしい等と電話で要求し、一方的に電話を切る。

〇3月3日

 教学部委員落合最後通牒を送付。3月4日中に「落合」から連絡してくることを求め、理由をつけて3月6日の法論から逃避した場合、敵前逃亡と断ずる旨を指摘。

〇3月4日

 樋田(高木)教学部委員:落合から全権を委任された者と称し、1分ルール等を定めた「約定」への受諾を要求。これを受諾しない限り法論に応じない旨のメールを送信。

〇3月5日

 教学部委員樋田(高木):「約定」云々と言いたいのであれば、まずは大阪法論の際に何の連絡もなく約束を反故にしたことを顕正会教学部に謝罪する書面(謝罪文)を3月8日までに信州会館へ送付することを求める旨のメールを送信。

〇同日

 樋田(高木)教学部委員:教学部委員が「なりすまし」との言葉を用いたことにつき、樋田が「なりすまし」をしたことを3月6日中に証明せよ、それができなければ即刻謝罪せよと求める旨のメールを送信。

〇3月6日

 教学部委員樋田(高木):落合から期限内に返答が無かったため、落合の「敵前逃亡」が確定。また、樋田については、法論の件を続けたいなら、まずは大阪法論から敵前逃亡した件を謝罪せよ(2回目)。そうすれば再度考えてやっても良い。3月8日まで待つ旨のメールを送信。

樋田(高木)、「なりすまし」との言葉につき、3月6日中に証明せよ等と求めるメールを送信。

〇3月7日

 教学部委員→樋田(高木):「なりすまし」については、大阪法論逃避についての真摯な謝罪を条件に、法論の場で教えてもよい。すでに落合の敵前逃亡は確定しており、これが最後のチャンスである。3月8日中に大阪法論逃避を詫びる謝罪状を送付せよと求める旨の最後通告メールを送信(3回目)。

樋田(高木)、以後、法論実施と関係のないメールをたびたび送信。具体的には、双方のメールのやりとりを実名で公表してほしくなければ、「なりすまし」との言葉について謝罪し、公開中止を哀願せよと求めるメール等。

〇日付不詳(3月8日以降)

 教学部委員樋田(高木):3月8日を過ぎても謝罪文の提出がないため、妙相寺一派の敵前逃亡確定を宣言。

樋田(高木)、以後、誹謗中傷メールを一方的に送信。

 

 いかがであろうか。このように事実を整理してみれば、落合及び樋田の法論逃避は明白である。

 まず落合は、2月18日に教学部委員から法論の申し入れを受け、数度の話し合いを重ねた結果、3月6日に妙相寺で3対3の法論を行う約束をした。しかるに落合は、3月1日、教学部委員に対し、突如として樋田と事前に約定を交わしてほしい旨を告げ、教学部委員から約束通り3月6日の法論に応じるよう求められたにも関わらず、何の返答もせずに法論から逃避した。

 次に樋田は、落合に代わって教学部委員に対応したものの、すでに3月6日に妙相寺で法論を行う約束となっていたにも関わらず、法華講員・高木を通じて、「このままでは法論は実現しませんよ」(3月3日付メール)、「以下の法論条件(趣意)(交渉の余地あり)を受諾しない限り、法論する価値を認めない」(3月4日付メール)等と述べ、法論から逃避した。また、その間、教学部委員より、樋田が大阪法論から無断で逃避した経緯から、3月8日までに謝罪文を提出すれば落合に代わって相手をしてやる旨を告げられたものの、「なりすまし」云々との無関係な話題を繰り返すだけで、謝罪文を提出することもしなかった。

 かくて法華講員・樋田昌志は、浅野総部長らとの法論、大阪での法論に続き、顕正会教学部から3度目の「敗走」をしたのであった。

法論逃避の正当化を試みる樋田の欺瞞を検証する

①:「約定」を口実に法論から逃避したことについて

 さて、このように見事に法論から逃避した樋田昌志だが、先に見たとおり、自らの敗走を正当化するために縷々弁解を述べているようであるから、その欺瞞を検証してみる。

 まず樋田が作った「約定」の件について。

 樋田は、すでに法論の日程が決まっていたにも関わらず、教学部委員に対し、「双方の発言時間は1分交代」、「反論不能状態が30秒以上続いた場合」を「敗北の条件」とする等の細かな「約定」を提案し、「以下の法論条件(趣意)(交渉の余地あり)を受諾しない限り、法論する価値を認めない」などと言い出し、3月6日の法論から逃避した。

 このように、自ら作成した細かな「ルール」への受諾を相手に要求し、これに相手が応じないことを口実に法論から逃げる手法は、大阪法論のときと同様である。

 しかし、この弁解が法論逃避を何ら正当化するものでないことは、下記の記事で指摘したとおりである。

https://matsudai-bonbu3.hatenablog.com/entry/2020/03/24/%E6%B3%95%E8%8F%AF%E8%AC%9B%E5%93%A1%E3%83%BB%E6%A8%8B%E7%94%B0%E6%98%8C%E5%BF%97%E3%81%8C%E9%A1%95%E6%AD%A3%E4%BC%9A%E6%95%99%E5%AD%A6%E9%83%A8%E3%81%A8%E3%81%AE%E6%B3%95%E8%AB%96%E3%81%8B

 すでに法論の日程等が決定し、教学部委員が妙相寺へ赴くことになっていたのであるから、樋田としては、これを堂々と迎え撃ち、見事に屈服させ、それを広くネット上に公開すれば良かったのである。

 しかし、樋田にはそのような実力も度量もなかったのであろう。折角、教学部委員が「先日述べたとおり、あとは当日会って話をすればよいでしょう。もちろん約定の話も。住職、樋田さん、高木さんしっかり来てくださいね」(3月3日付けメール)と告げていたにも関わらず、「このままでは法論は実現しませんよ」(3月3日付けメール)などと返答し、法論から逃避してしまったのである。これでは、単なる「臆病者」と評されても致し方ない。

②:「なりすまし」との言葉を口実に話題を逸らし、法論から逃避したことについて

 次に、「なりすまし」云々の件について。

 樋田は、教学部委員が法華講員・高木に送信したメールにおける次の文言に難癖を付け、法論実施に向けた話題から話を逸らし、結局、法論から逃避した。

「先程のメールに「ただの一度も樋田に連絡をよこすこともできずに」などと記してありましたが、もし樋田氏が「準備・実行の全権委任」をされたのであれば、樋田氏から連絡をしてくればよいところ、高木さんを通じ、なりすましメールを送るばかりで、直接連絡をしてくることもしなかった。(なりすましの証拠あり)いまさらグダグダ言ったところで、これが結論です」(3月4日付けメール)

 この文章をごく普通に読めば、直前の「高木さんを通じ」との文言からも明らかなとおり、「樋田が、法華講員・高木を通じて、あたかも高木が作成した文章であるかのような体裁でメールを送ってくるだけで、直接、連絡をしてくることもなかった」という事実を指摘しているにすぎないことがわかるであろう。

 

 ところが、樋田は、この一文に対し、次のように反応した。

・(「goo辞書」の「なりすまし」の解説を引用した上で)「いつ私樋田が上記に定義されているような行為をしたのか、証明していただけますか?もしそれが出来なければ、即刻謝罪してください」、「[なりすまし]の証明期限は6日中とする」

・「おやおや?人を「なりすまし」と「犯罪者」呼ばわりしておいて頬っ被りですか?」、「当方が「なりすまし」という「犯罪行為」をしたという証明を本日6日中にしたまえ。それが出来なければ謝罪したまえ。当方はもちろんそれを公表する。人を犯罪者呼ばわりしてそのまま遁走するんじゃないですよ」

・「当方が「なりすまし」という犯罪行為をしたという証明、もしそれが出来ない場合は謝罪 その期限の6日が過ぎましたね。これが顕正会教学部の人間性ですか?」

 

 このように、樋田は、教学部委員がメール中で用いた「なりすまし」という言葉を捉え、それを自らに都合の良い意味に曲会し、教学部委員が樋田に対し、「犯罪行為をした」と断定し、あるいは「犯罪者呼ばわり」したことを前提に、その「証明」や「謝罪」を要求し続け、もって法論から話題を逸らして逃避したのである。

 しかし、先に見たとおり、教学部委員のメールをごく普通に読めば、樋田が「犯罪行為をした」と断定したり、樋田を「犯罪者呼ばわり」したものでないことは明らかである。

 樋田は、「goo辞書」の解説を引用し、「なりすまし」との言葉に「氏名・生年月日・住所・本籍・職歴などの個人情報を不正に手に入れ、その人の振りをして資格を取ったり、金品をだまし取ったりすること」等の意味があることを根拠に上記の持論を展開しているようであるが、失当である。

 言葉の意味は、文脈や用い方によって様々であり、教学部委員のメールを素直に読めば、樋田が引用するような意味で用いていないことは自明である。わざわざ解説するまでもないが、「本当にそのものであるようなふりをする」(「なりすます」goo辞書)、「他人のふりをして活動すること」(「なりすまし」ウィキペディア)といった程度の意味であろう。

 もし樋田が、本当に先のような意味に誤読したのであれば、彼の日本語読解能力の低さを案じざるを得ない。他方、もしそのような意味で用いたのではないことを知りながら、あえて上記のような難癖をつけたのであれば、その幼稚さに呆れるとともに、彼がいかに本筋から話を逸らし、法論を回避したかったのかが浮き彫りになるというものである。

 また、樋田の難癖は、そもそも今回の法論逃避を何ら正当化するものではない。なぜなら、教学部委員は、「なりすまし」云々にこだわり続ける樋田に対し、「もし貴殿が「どうか教えてください」と哀願するのであれば、先般来、こちらが提示している大阪法論逃避についての真摯な謝罪を条件に、法論の場で教えてやらないわけでもない」(3月7日付けメール)との寛大な態度を示していたからである。

 ゆえに、もし樋田がどうしても「なりすまし」と指摘された理由を教えてもらいたければ、教学部委員との法論の場に出て行けば良かった。しかし、彼には、それができなかったのである。

樋田昌志の今後について

 以上のとおり、樋田昌志は、浅野総部長らとの法論から逃げ出し、大阪法論では事前連絡もなく敵前逃亡し、長野法論に至っては、教学部委員がわざわざ妙相寺まで赴いて法論を行う約束になっていたにもかかわらず、直前になって拒絶し、遂に法論から逃避してしまった。

 やはり、一法華講員にすぎない樋田昌志には、顕正会教学部との法論は荷が重かったのであろう。

 ちなみに彼は、顕正会本部にあてて勝手に内容証明郵便を送りつけ、それに対して回答がないことを誇らしげに周囲に吹聴しているそうであるが、何とも惨めである。

 顕正会は、創価学会及び日蓮正宗本体の御遺命違背を責めているのであり、樋田ごとき力なき一法華講員を相手にしているのではない。要するに、樋田は「相手にもしてもらえない程度の存在」なのであるが、そのことに気づかず、自身と、215万顕正会の浅井会長を同列に考えて論じているあたりが、まことに痛々しい。

 まして、この度、顕正会教学部との法論から3度目の敗走を喫したことで、はしなくも彼の「限界」が露呈してしまったといえよう。

 なお、樋田は、顕正会が自身の駄文に構ってくれないことをもって「仏法中怨」などと喚いているようであるが、失当である。顕正会が宗門本体の御遺命違背を連々と責め続けている以上、樋田ごとき末端の一構成員の戯言に一々取り合わないからといって「仏法中怨」などに当たらないことは言うまでもない。

 もしこのような至極当然の事柄すら理解できなくなっているとしたら、それは御遺命違背の宗門に身を置くゆえの悩乱というほかない。

 今回、顕正会教学部との法論から3度目の敗走をした樋田昌志。そろそろ自身の「限界」に気づき、今後の身の処し方を考えた方が良いであろう。

参考:教学部委員の樋田に対するメール

 参考までに、顕正会教学部委員が樋田に送信したメール等のいくつかを、樋田のサイトから引用して掲載する(http://toyoda.tv/kensyo.a.htm)。

 

〇3月3日

令和2年3月3日

妙相寺住職・落合尊福殿

顕正会教学部 ▼▼

 

最後通牒

妙相寺住職・落合尊福(以下、「住職」という)が一昨日、小生との電話を一方的に切り、卑怯にも逃げた為、書面で通告するものである。

妙相寺信徒「高木」某なる者が顕正会員に接触をしてきたことから、2月18日に小生は住職へ法論を申し入れ、すでに数度の話合いを重ねてきた

この法論にあたり、住職は次の通りの内容で承知していたはずである

・3月6日(金)

・双方3名ずつ

・法論の詳細は当日双方面前にて取り決める

・議題は、大聖人の御遺命につき、宗門と顕正会のいずれが違背しているか

しかるところ、法論が差し迫った3月1日、住職は突如として「樋田君と事前に約定を交わしてほしい」などと一方的に話を変え、樋田昌志を盾にして法論を反故にしようとしてきた。

これまでの経緯を見れば、住職は法論の要請を快諾し、「日程を決めて連絡せよ」と私に促したのではないか。

ゆえに、小生は日程を提示した。

すると、突然法論の窓口を樋田昌志に丸投げする意向を示し「あとは樋田君に電話してくれ」などと放言した。

そこで小生は、住職自身に法論を申し込んでいること、信徒に任せるのではなく、妙相寺の責任者たる住職自身が法論を取り決めるべきと、その無責任を指摘した。

住職はそれに納得し、自ら3月6日を定め、小生に連絡してきたのではなかったのか。

その日程を決定した電話の折、小生が念を押して「では、あとは当日お伺いすればよろしいでしょうか?」と確認したことに対し、住職は「いいですよ」と了承した

小生が「当然、樋田氏も高木氏も、このことは承知の上ですよね」との念を押したことに対しても「そう、そう、そう」と返答した

さらには法論の事前の取り決めにつき言及すると、住職は「(法論が)始まる時に、お互いにね。いろいろやるでしょ」「そういうことをガタガタ言わないでよ、当日やるんだからさ」と声を荒げたこと、よもやお忘れではあるまい

内容についても小生が「私たちは御遺命につき、大聖人様の御金言と、歴代上人の御指南に照らして、宗門と顕正会とどちらが御遺命に背いているかをしっかり話させて頂きたい」と申し入れると住職はすかさず「背いているのはソッチなんだけど」と反論したため、小生が「ではそのことについてしっかり話をさせて頂きたい」「それでいいですね」と確認すると住職は「はい」と応諾したのである

ここに正式に法論は決定し、3月6日を待つばかりとなった

ところが前述のごとく、3月1日に住職は「樋田君と事前に約定を交わしてほしい」「樋田君に電話してほしい」などと一方的に言い出した。

このとき小生が再度、ここまで小生とやり取りとしてきた住職が責任を持つのが筋であることを伝えると「(法論を申し込んできた)あなたにそんなこと言う資格はない」などと言い放ったのである。

この変節ぶりを小生が詰め寄ると住職は平然と「それ(教学部の法論の様子)が分からなかったんだもん」などと言い放った。

補足しておくが、教学部の法論は大聖人様の御金言と歴代上人の仰せを基にした、全く以て理路整然たる法論である。

また3月1日、住職に変わって対応した自称「住職の息子」なる人物の狂乱ぶりには驚愕した。

この「息子」なる男は、一方的に顕正会への誹謗中傷を連呼し、終始、樋田昌志を盾に「樋田さんを破折してからこっち(寺)に来くればいい」「youtubeを見ればわかる」などと意味不明な言葉を連呼していた。

まさに自ら法の正邪を論ずることを放棄し、他人任せにしていたが破廉恥にも程がある。

住職らが顕正会教学部の法論から何とか逃げを打ちたいと必死に策を凝らしたい気持ちは察するが、正々堂々と出てきたらどうか?

昨年の大阪での法論、また伊東副教学部長と小生との悪質ビラの真意についての青森県での法論等、ともに樋田は嘘と詭弁を並べて逃げた。

当方としては、今後も樋田に約定の履行とビラの謝罪・訂正を求めるとともに、宗門の御遺命違背につき徹底糾弾していく所存である。

また、樋田は法論を逃避するために「双方1分ルール」なる意味不明なことを囀っているようだが、このような馬鹿げたルールを用いなければ法論に応じられないこと自体、法論から逃避していることを知れ

真摯に大聖人様の仏法の正邪を決する思いがあるならば、「大聖人の御金言と歴代先師上人の仰せを基に、徹底して宗門と顕正会のどちらが御遺命に背いているかを論判する」だけでいい筈である

住職の「息子」と自称する男は、私たちが3月6日に妙相寺に赴いたら「警察を呼ぶ」と狂ったように喚いていた。

また、高木某なる女性信徒も小生のところに、「樋田さんと連絡をとり法論約定を決めたら如何ですか?なぜそれを嫌がるんですか?樋田さんが出てくる事で腰が引けちゃいましたか?」などとお門違いなメールを送ってきたが、住職との法論回避に必死なようであるが、姑息はやめよ。

以下の内容の法論を行うつもりがあれば、3月4日(水)中に住職から私に連絡をされたし

・3月6日(金)

・双方3名ずつ

・法論の詳細は当日双方面前にて取り決める

・議題は、大聖人の御遺命につき、宗門と顕正会のいずれが違背しているか

もし、様々な理由をつけて法論を逃避した場合は「敵前逃亡」したと断ずる

 

〇3月7日

「なりすまし」を指摘されたことが、よほど気になっていると見える。

しかも、自分でボロを出して気づかないのだから、なんとも滑稽である。

しかしながら、もし貴殿が「どうか教えてください」と哀願するのであれば、先般来、こちらが提示している大阪法論逃避についての真摯な謝罪を条件に、法論の場で教えてやらないわけでもない。

しかるに貴殿は、勝手に回答期限なるものを定め、「教えてくれないならメールのやりとりを実名で公表する」旨を喚くのだから、その非常識ぶり、幼稚さには長大息のほかはない。

勿論、当方にはかかる貴殿の手前勝手な要求に応じる義務はなく、メールの実名公開を承諾する理由もない。

もっとも、もし貴殿が自らの人格破綻や敵前逃亡の醜態を世間に晒したいのであれば、貴殿のみ実名で公開することも一案である。

なお、貴殿の行為が国法に触れる場合、当方が相応の措置を講ずるであろうことはあまりにも当然である。

 

さて、貴殿は「なりすまし」云々と騒ぎ立てることで話を逸らそうと必死なようであるが、すでに妙相寺住職・落合の約束反故と敵前逃亡は確定している

ゆえに、大阪法論逃避を真摯に謝罪し、当方に法論の相手をしてもらうことは、貴殿にとって汚名挽回の唯一無二の機会であろう

結局貴殿は、一人せっせとつまらないYouTube動画を作成・配信している、惨めな謗法者に過ぎない。

ゆえに、いざ教学部との対論実現となるや、浅野総部長からは敗走し、大阪法論に至っては、会場に赴くことすらできずに敵前逃亡した。なんとも惨めではないか。

これが教学部との法論から逃げ回る謗法者・樋田昌志に対する最後通告である。

貴殿が妙相寺住職・落合に代わって当方に相手をしてもらいたいのであれば、3月8日中に信州会館あてに、大阪法論から逃避した非礼を真摯に詫びる謝罪状を送付せよ

そうすれば、貴殿には教学部からの2度の敗走を挽回するチャンスが与えられる。臆病な貴殿が勇気を振り絞り、この最後のチャンスをモノにすることができるかどうか、温かく見守ることにしよう。

なお、貴殿から期限内に謝罪状が届かなった場合、貴殿において、落合をはじめとする妙相寺一派が顕正会教学部との法論から敵前逃亡したことを自認したものとみなし、しかるべき場で公表することもありうることを、念のため付言しておく

以上

 

〇3月8日以降の日

妙相寺・落合の約束反故と大阪法論の敵前逃亡を取り繕うために、やっとこさ癡文をこしらえたようだが、冗長なだけで空疎な貴殿の言葉は虚しく響くばかりである。

「骨折り損のくたびれもうけ」とはこのことだ。

小生が大阪法論逃避について真摯な謝罪をしてくれば、過去2度の遁走を免じて法論を受けると折角チャンスを与えてあげたのに、それを棒に振ったようだな

下らぬ難癖をつけることだけは実に雄弁な貴殿が、大阪法論敵前逃亡については一言も触れず仕舞いなところをみると、やはり後ろ暗いところがあるようだ。

それはそうだろう、大阪での法論を何の事前連絡もなく遁走したのだから無理もない。

あのような非常識を平然と行っていながら、貴殿は小賢しくも次の通り小生に指摘してきた。

〈いやいや恐れ入りましたね。これでよく宗門僧侶や我々法華講に対して様々な非難中傷ができますね。

■「教主釈尊の出世の本懐は人の振る舞ひにて候けるぞ。賢きを人と云ひ、はかなきを畜という。(崇峻天皇御書 建治三年九月一一日 五六歳 1174)

この御文からすれば貴殿はまさに、鬼畜と同類もしくはそれ以下ですな。

これで貴殿の主張や発言など、完全に信用性を失いましたね〉

などと。

卑劣な人格の者は、己の命の癖を他人へそれを投影して貶めることがままある。

その言葉が、己の人間性をそのまま表していることに気づいたほうがいい。貴殿はその典型といえよう。

貴殿の振舞いこそ、「鬼畜と同類もしくはそれ以下」で「貴殿の主張や発言など、完全に信用性を失」っていることを知れ。

繰り返すが、悪口と詭弁だけの貴殿の癡文は、所詮、妙相寺・落合の約束反故と大阪法論の敵前逃亡を取り繕うため、煙幕をはっているものでしかない。違うか。

それから、実名での公開を中止して欲しいのなら、謝罪・中止の懇願をせよ、とは笑止の至りだ。

当初、貴殿は(1)「今回の往還で貴殿の書面には名誉毀損・あるいは侮辱罪などに抵触する可能性があるので、全文を実名で公開することを通告しておく」と一方的に公開することを断定していなかったか。

当方がそのことに触れずにいたところ、提訴されることを恐れてか、(2)「法的な根拠・担保として三度目、最後の通告とする」と小生の同意をもらおうとし、それが得られないとなると、(3)「貴殿が実名公開を拒絶、逃避したこと、これ自体が今までの経緯に対して貴殿自身が正しいという堂々とした認識を持っておらず、むしろ後ろ暗さを感じている証拠」「貴殿の実名を明かせない臆病さ」ときた。

この変遷、滑稽千万だ。これを見れば誰でも、貴殿のハッタリと臆病さがよく分かる。みっともなくて見ていられない。

いずれにせよ、大阪法論敵前逃亡の謝罪文の提出期日であった3月8日を過ぎても、貴殿からの謝罪なかった

よって貴殿は「2度の敗走」という汚名をそそぐ無二の好機を逸した。

ここに妙相寺一派が顕正会教学部との法論から敵前逃亡したことが確定したことを改めて宣言する。

以上

法華講員・樋田昌志が顕正会教学部との法論から敵前逃亡! 大阪法論をめぐる醜態を糊塗する樋田昌志の欺瞞を検証する

 「樋田昌志」とは

・「ヴわば~はhっはhhっは~!

・「あほだ~~。

・「ほほ~?

・「さ~~て~?

・「いいですかぁ~?

・「理解でっきまっすかぁ~?

 皆さんは、これらが誰の言動かご存知だろうか。

 顕正会創価学会を誹謗する自撮り動画をしきりにYouTubeにアップしている法華講員・樋田昌志のそれである。

 日蓮大聖人の御遺命に背く宗門に身を置くと、こういう人間になるという良きサンプルである。良識ある人々であれば、およそ「理解」し難いところであろう。

 さて、この樋田昌志、以前に顕正会の浅野恭浩総部長らと法論を行った。その際、浅野総部長から理詰めにされた樋田は、回答不能に陥った末、「俺、もう無理」、「あなたが逃げるって言うんだったらそれもいい」等と述べて逃げ出してしまった。まさに敗走である(この法論の詳しい内容及び検証結果は、下記の記事を参照)。

浅野総部長らが法華講員・樋田昌志を論破!「敗走」を糊塗する樋田昌志の欺瞞を検証する

https://matsudai-bonbu3.hatenablog.com/entry/2019/03/05/%E6%B5%85%E9%87%8E%E7%B7%8F%E9%83%A8%E9%95%B7%E3%82%89%E3%81%8C%E6%B3%95%E8%8F%AF%E8%AC%9B%E5%93%A1%E3%83%BB%E6%A8%8B%E7%94%B0%E6%98%8C%E5%BF%97%E3%82%92%E8%AB%96%E7%A0%B4%EF%BC%81%E3%80%8C

大阪法論で敵前逃亡

 その樋田昌志が、今度は大阪で顕正会教学部と法論を行うことになったらしい。ところが樋田は、法論の日時・場所・条件等が確認され、後は会場へ赴けば法論が実現するという段になって、なんと法論から逃避してしまった。当日、会場に行くことすらできなかったのである。大方、浅野総部長らとの法論で面詰されて敗走せざるを得なくなった恐怖体験から、再び法論の場に出ることができなかったのであろう。

 しかるにこの樋田、自らの「敵前逃亡」という恥辱を糊塗するために、後になって会場へ行けなかった「釈明」を尤もらしく述べているという。まことに惨めな男である。

 とはいえ、樋田をリスペクトする一部の法華講員などは、「樋田が法論から逃げるはずない」という願望のもと、樋田が書いたひどく冗長な「言い訳」文章を読み進めるうちに、見事に自己洗脳を完了し、「樋田さんは逃げていない!」「顕正会教学部が逃げたんだ!」と勘違いすることであろう。

 そこで、以下では、樋田昌志が宣伝する大阪法論についての釈明を検証し、もって、「樋田昌志が顕正会教学部との法論から敵前逃亡した」という事実を簡潔に示すことにする。なお、検証に用いるメール等は、いずれも樋田自身がネット上に公開しているものである。

※参考

http://toyoda.tv/kensyo/kensyo.horon.kousyo.htm

樋田昌志が顕正会教学部から敵前逃亡した事実

 事の発端は、2019年3月26日、樋田一派と思しき法華講員が知人の顕正会員に対し、「ところで、法華講の樋田さんとお会いしますか」とのメールを送信したことに始まる。その後、この法華講員と顕正会員を通じて、樋田昌志と顕正会教学部との間で法論の日程や条件等の調整が行われた。その結果、法論前日までに概ね下記の内容が双方で確認された。

〇日時:

2019年05月28日 19:00~21:00

〇場所:

大阪市淀川区西中島7-2-13

エキチカ会議室ブライト メゾン第3新大阪401

〇人数:

両者とも人数は3人以内とする。但し、発言は1人ずつ行う。

〇条件:

①樋田昌志に関する条件

 宗門の出版物ならびに樋田昌志の所行や同人が関与している印刷物・ウェブサイトに御金言および歴代先師上人の御指南と照らして違背・誤りや虚偽(世間的なものも含む)があった場合、ユーチューブ上に謝罪動画をアップする等、相応の謝罪・訂正をするとともに、法華講における役職を辞して日蓮正宗に関する一切の活動を謹慎すること。

顕正会教学部に関する条件

 顕正会の出版物ならびに対論する教学部委員の所行や同人が関与している印刷物・ウェブサイトに御金言および歴代先師上人の御指南と照らして違背・誤りや虚偽(世間的なものも含む)があった場合、ユーチューブ上に謝罪動画をアップする(なお、この場合、対論した教学部委員は、当該動画のURLを速やかに樋田に伝える。樋田は当該動画を転載することができる。)等、相応の謝罪・訂正をするとともに、顕正会における役職を辞して顕正会に関する一切の活動を謹慎すること。

③双方とも法論の様子は録音・公開して良い。

 いかがであろうか。賢明な読者であれば、すでに双方が議論を戦わせるのに十分な内容が確認されていることに、容易に気づくことであろう。

 後はただ、双方が上記の日時・場所で対面し、いずれが正、いずれが邪であるかについて議論を尽くせば良い。これでどうして法論ができないことがあるだろうか。

 ところが、樋田昌志は、結局、法論の場に出てくることができなかった。それだけではない。顕正会教学部から「もし現時点で既に怖気づいてしまい、明日会場に行きたくないというのであれば、遅くとも明日の正午までに、その旨を連絡してこい」と事前に通告されていたにもかかわらず、法論の場に行かない旨を連絡することすらできなかったのである。

 こうして、法華講員・樋田昌志は、浅野総部長らとの法論に続き、大阪における顕正会教学部との法論からも「敵前逃亡」したのであった。

樋田昌志の「釈明」を検証する

 さて、先に触れたとおり、樋田は、顕正会教学部との大阪法論から逃避した理由について、後になって様々な「釈明」をしている。

 読者の中には、「法論の日時・場所等が決定していながら、直前になって逃げ出した卑劣漢が、今更何を」と呆れる方もいるかもしれないが、彼は彼なりに一所懸命なのである。ここは1つ、寛大な心で、彼の言い分に耳を傾けてあげることにしよう。

 樋田の釈明をまとめると、概ね次のようになる。

① 双方で合意に至った先の条件に加えて、さらに樋田が提案する「基本的法論約定(草案)」(ないしこれを「ベース」とする約定)を顕正会教学部が承諾しない限り、法論には応じない。

② 浅野総部長らと法論した際、まともな法論にならなかった。この点からも①の約定が必要である。

 それでは、順を追って検証してみよう。

 まず①について。先に見たとおり、すでに双方が法論を行うのに十分な内容が確認されており、後は約束通り会場へ赴けば法論が実現したのであるから、①は法論逃避の理由にならない。

 樋田が真の実力者であれば、堂々と会場へ赴き、顕正会教学部を見事に屈服させ、それを広くネット上に公開すれば良かったのである。しかし、浅野総部長らとの法論の様子をみる限り、樋田にはそのような実力も度量もなかったのであろう。これでは、単なる「臆病者」と評されても致し方あるまい。

 なお、樋田が提案する「基本的法論約定(草案)」なるものは、「一人一枠1分以内で、相手側の詰問に、反論不能状態が30秒以上続いた場合」等を「敗北の条件」とするものである。おそらく樋田は、「法論」を小学生のディベートか何かと勘違いしているのであろう。

 実際、樋田は顕正会教学部に宛てたメールにおいて、「真に実力があり、正当な法論を真剣に望む者ほど厳格・明瞭なルールを必要とする」などと書いている。

 しかし、日蓮大聖人が佐渡で数百人の謗法者らを破折・屈服せしめた「塚原問答」のとき、細かい「ルール」を要求されたであろうか。日興上人が伊豆流罪の折、熱海の真言僧・金剛院行満を帰伏させたとき、あるいは走湯山で山内随一の学匠・式部僧都と法論したときに、細かい「ルール」を要求されたであろうか。日目上人が大聖人の御指名に従い、叡山の学匠・二階堂伊勢法印と法論したとき、細かい「ルール」を要求されたであろうか。樋田の理屈によれば、恐れ多くも大聖人から日目上人に至るまで、みな「真に実力があり、正当な法論を真剣に望む者」ではなかったことになる。

 いや、あの妙観講の大草一男ですら、分を弁えず顕正会・浅井会長との法論を「促す」などと「慧妙」に掲載した際には、「法論の条件は『敗者が勝者の弟子となる』ただ、この一箇条である」とだけ書いている。

 一方、すでに法論の日時・場所・条件等が決まっていながら、樋田のように自作の細かな「ルール」への承諾を相手に要求し、相手からそれが不要である旨を論証され、かつ、どうしても加えてほしい条件があるなら会場で聞いてやる旨を告げられてもなお、あくまで細かな「ルール」を要求し続け、結局、相手に無断で法論から逃避した者が、かつて宗門にいたであろうか。

 まさに知るべし、「真に実力があり、正当な法論を真剣に望む者」は、自ら細かな「ルール」を作って相手に承諾を要求したり、相手がこれに承諾しないことを口実に法論から逃避したりすることは、決してしないのである(なお、大草を実力者とする趣旨ではない)。

 むしろ、法論の日時・場所等が決定していながら、このように法論から逃避した者は、宗門七百年の歴史において、おそらく樋田一人であろう。

 何とも恥ずかしい男であるが、その恥ずかしさに気づかずに自ら大宣伝しているあたりが無邪気である。

 次に②は、事実を歪曲したものである。

 樋田は自らの法論敗走を糊塗するために、浅野総部長らについて、「躾の成っていないお行儀の悪い狂徒を、お行儀よく礼儀正しく正当な法論のテーブルに着かせるには、きちんとした決まりごとを定めない限り、不毛なだけ」等と貶めている。

 しかし、浅野総部長らとの法論において、樋田が完全に理に詰まり、回答不能に陥って敗走した事実は、当日の音声データを冷静かつ客観的に検証すれば明らかである。

浅野総部長らが法華講員・樋田昌志を論破!「敗走」を糊塗する樋田昌志の欺瞞を検証する

https://matsudai-bonbu3.hatenablog.com/entry/2019/03/05/%E6%B5%85%E9%87%8E%E7%B7%8F%E9%83%A8%E9%95%B7%E3%82%89%E3%81%8C%E6%B3%95%E8%8F%AF%E8%AC%9B%E5%93%A1%E3%83%BB%E6%A8%8B%E7%94%B0%E6%98%8C%E5%BF%97%E3%82%92%E8%AB%96%E7%A0%B4%EF%BC%81%E3%80%8C

 すなわち、樋田は、浅野総部長から「正本堂は御遺命の戒壇である」旨を断定した菅野慈雲の文証を突きつけられた際、「単なる言い過ぎだ」と弁明した。これに対し、浅野総部長は、「『御遺命の戒壇ではない』建物を、『御遺命の戒壇である』と言っている。ないものをあると言っている。真逆ではないか。単なる『言い過ぎ』というレベルではない」旨を反詰した。すると樋田は、この浅野総部長の追及に対し、ただ「言い過ぎただけ」と繰り返すだけで、この点について明確な反論ができなかった。

 つまり、樋田は、御遺命の戒壇ではない正本堂を指して「御遺命の戒壇である」と真逆のことを断言した所業が、なぜ「単なる言い過ぎ」として許されるのか、その「理由」を全く説明できなかったのである。 

 もしこれが少々頭の回る法華講員であれば、「それは○○○○だから、単なる『言い過ぎ』といえるのだ」などと、尤もらしい理屈の1つでもこねたかもしれない。しかし、おそらく樋田は、思考停止に陥り、まともな反論が思いつかなかったのであろう。まるで駄々をこねる幼児のように、「言い過ぎただけ」と答えになっていない発言を必死に繰り返した。そして、最後までまともな反論ができないまま、「不毛だ」などと格好をつけながら法論から逃走したのである。まことに「幼稚」と評する以外にない醜態である。 

 なお、樋田をリスペクトする一部の法華講員らが、当日の音声データを聞きながらこの事実に気がつかない原因としては、「樋田が負けるはずない」と信じる願望に加え、動画の編集による印象操作の影響が大きいと思われる。 

 そのため、たとえば動画冒頭における樋田の自己弁護的な解説を無くし、浅野総部長らと思しき下手なイラストの代わりに、下記のような樋田のイラストを大々的に画面中央に映し出した上で、背景を段々と暗くしつつ、次第にイラストが小さくなるように(画面の奥へと遠ざかっていくように)編集した映像を作成し、それを見ながら同じ音声データを聞けば、おそらく全く異なる印象を受けるであろう。

 動画のタイトルは、樋田に倣って、「実録音声データ!妙相寺信徒・樋田昌志の臆病と実際の対話での無能ぶりを暴く!」とでもしておこうか。

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(引用元:https://youtu.be/NVNztgWzjcs

  なお、もし法華講員諸氏の中に、自身が動画の映像等による印象操作を受けていることに気づけない、比較的知的レベルの低い方がいるとしたら、先の検証記事を虚心に読み、認識を改めることをお勧めする。

 以上から、法華講員・樋田昌志の顕正会教学部からの「敵前逃亡」に関する釈明が、およそ法論逃避の理由になっていないことが明白となった。

参考:顕正会教学部の樋田に対するメール 

 最後に、顕正会教学部が樋田に対し、法論逃避の直前・直後に送信したメールを、樋田のサイトから引用する(http://toyoda.tv/kensyo/kensyo.horon.kousyo.htm)。樋田の「釈明」を介さずに素直に読めば、事の本質が自ずと明らかになるであろう。 

〇2019年5月28日

樋田(【法華講女子部】)の当方に対する返信は全く内容がなく、また、話題そらしに躍起になる様は哀れというほかない。
怖気づいて悩乱ここに極まり、ついには法論から逃げてしまった。
この期に及んで当方に駄文を送り付ける樋田の腐りきった性根には驚嘆のほかないが、この際、その腐りきった性根を露わにし粉砕しておく。
「さ、もし本気で法論を実現する気ならば、これを読んだら直ぐにでも、上記の法論運営約定について踏み込んで再反論して来い」
樋田は、こう啖呵を切った。
そこで当方は前回の返答で、樋田が提示した「基本的法論約定」なるものがいかに不要であるかを悩乱ペテン師でもわかるレベルで記した
その上で、当方はかつて浅井先生と学会首脳部が「正本堂」の意義付けをめぐり、昭和47年9月に常泉寺にて法論することを宗門内事部が決定した際、内事部が「遵守」するように定めた「条件」5つを引用して示した。


1 両者とも人数は3人以内とする。
2 礼儀正しく、理をつくして話し合うこと。
3 話し合いの途中で、経過や話しの内容を機関紙・口頭等で発表してはならない。又、テープは使用しないこと。
4 意見が通らないからといって、示威行為や非常手段に訴えたりしてはならない。
5 話し合いの結果がまとまったら、総本山に報告すること。又、結果についても、総本山の許可なく発表してはならない。

そこから録音禁止と公開制限の2つを除いた次の3つを「基本的法論約定」に代わる対案として提示した

1 両者とも人数は3人以内とする。
2 礼儀正しく、理をつくして話し合うこと。
3 意見が通らないからといって、示威行為や非常手段に訴えたりしてはならない。

さらに上記3つ以外に、当方に「お願い」があれば、当日聞いてやっても良いと憶病な樋田を気遣い、寛大な姿勢まで示した
このように当方は、樋田の時間稼ぎにつきあい「基本的法論約定」なるものについて踏み込んだ反論をし、対案の提示までしてあげた
しかるに樋田はこの点についてダンマリ、全く反論がない。
傀儡の「【法華講女子部】」を利用して「法論約定がお互いに合意した内容に決まらなければ法論実現は出来ませんし、それを回避すると言う事は顕正会側が、法論実現を断ったとみなされます。」「法華講側の法論約定の交渉に即刻、応じるべき。返答がもし無ければ、顕正会側の敗北とする。」などと頓珍漢な反論をしている。
どうやら樋田は悩乱ゆえに当方が提示した対案が読めないようだ。いや、憶病ゆえに読みたくないだけか。
もはや滑稽である。法華講員は都合が悪くなるといつもこうだ。
これを「逃げ」と言わずして何という。
樋田よ、他人に成りすまして明後日の方を向いた返答をするのではなく、まずは自分の名前で当方に真っ当な反論をしたらどうだ。お前は腹話術師か?
この期に及んで「基本的法論約定」なるものが必要というのなら、その理由を誰もが納得のいくよう説得的に述べ、当方がこれを不要と断じた点に反論してみせろ。
創価学会の幹部でもこういった法論約定に従って法論しますよ?」
これが約定を必要とする理由になるわけがなかろう。
樋田と傀儡法華講員は、邪正を決する「法論」がいかなるものかを全く弁えていないようだ。
前回に引き続き、もう一度「法論」が何たるかを当方が懇切に教えてやろう。
邪正を決する「法論」とは、どちらが正しいのか・間違っているのかを完全に決着がつくまで、要は相手が回答不能に陥って屈服するまで、何度でも徹底的に論判することだ。
そして最終的に回答不能に陥り屈服した敗者は然るべき責任をとる。
ゆえに「常泉寺法論」で浅井先生と学会首脳部は、宗門内事部が決定した5つの条件に従い、実に7回にわたって激烈な論判を行った。
最後、学会首脳部が屈服し、昭和47年10月3日の「聖教新聞」第一面にて正本堂の意義を訂正したのである。
これこそまさに邪正を決する法論である。
樋田がこれまでに「法論」と呼んできたものとは天地の差があろう。
樋田よ、いい加減「法論」の真似事、幼稚な「ごっこ遊び」はやめよ。
また「法論」を小学生のディベートやある種のゲームのような「お遊び」と同列に捉えることもやめよ。
自ら責任すら持ち得ない「双方の機関紙誌に掲載」することを条件に加えてみたり、決着をつけて身を処す覚悟を持ち合わせもせずに「基本的法論約定」などというくだらないものを提示した樋田の行為は、「法論」を貶める行為以外の何物でもない。
まあ、当方としても、樋田に身を処す覚悟がないことは平成17年の公場対決から逃げたことから分かってはいたが。
結局、樋田がキャンキャンと吠える法論約定は、樋田が当方に敗北した際、
「時間切れで負けただけ。内容的には勝っていた」
などと病的な言い訳を述べる準備、あるいは、つまらぬ約定違反を理由にしか当方に勝てないことを認める憶病心そのものという他ない。違うか?
さて、前回の返答でも指摘したが、樋田は当方と法論決着後の身の処し方を決めるやりとりにおいて、
「完全に左右正対称形に転写しましたよ」
と三度もウソを記している。
すでに法論の約定につき樋田が嬉々として「合意」「決定」した「樋田昌志の所行に・・・虚偽(世間的なものを含む)があった」との内容にすでに抵触している。
ゆえに当方は今後、樋田に対し「相応の謝罪・訂正」、「法華講における役職を辞して日蓮正宗に関する一切の活動を謹慎」の履行を求めることとする。
今日までの当方と樋田とのやりとりを見れば、真面目で理性的な法華講員なら、樋田昌志が下劣で憶病なハッタリペテン師であることをよくよく認識できることだろう。
最後に述べておく。
上記のとおり樋田はすでに当方と「合意」「決定」した約定に違反している。
また本日、樋田が法論会場に来なかった場合は「敵前逃亡」確定である
これらの事実をもって、当方は、法華講員・樋田昌志の敗北、顕正会教学部の勝利を宣言することとする。

以上 

〇樋田の法論逃避の直後に送信されたメール

5月28日の法論から完全逃避した樋田に告ぐ。

樋田よ、まずはお前の常識は世間の「非常識」であることを教えておく。

良識ある社会人であれば、法論当日、当方に何ら連絡を寄こさぬまま会場に来ず、法論から逃げ出した非礼を、まずは詫びるのが筋であろう。

当方は法論の前日、樋田に対し、「もし現時点で既に怖気づいてしまい、明日会場に行きたくないというのであれば、遅くとも明日の正午までに、その旨を連絡してこい」と念を押した。

それだけではない。当方はこの期に及んでも樋田が喚き続ける「法論約定」という本来ならば全く取り合う必要のない事項についても、当方が示した対案以外に「お願い」したい条件があれば直接会場で聞いてやってもよい旨も伝えていた。

しかし、この部分については、樋田はあえてスルーした。まさか読み落としたわけでもあるまい。

その直前には、樋田は「法論運営約定」について、こう言っていた。

「もし、この原案のまま受諾できないのならば、今回の敗北約定のように修正案で反論して見せよ。

再三当方から催促してきたはずである。

修正の余地は多くある。

妥協もしてあげよう。……

さ、もし本気で法論を実現する気ならば、これを読んだら直ぐにでも、上記の法論運営約定について踏み込んで再反論して来い。

まだ時間はある。

それが出来なければ、法論以前に、法論するまでもなく君らは敗北決定である。」

これに対して当方は前述のとおり、対案を提示した。

それがどうだ。法論当日、樋田は正午を過ぎても「今日会場には行かない」とか、「延期しよう」といった連絡を何ら当方に寄こさなかった。

ゆえに当方は、約束の時間に法論会場に赴いたが、樋田や法華講員は、約束の時間になっても法論会場に姿を現さなかった。

これを「敵前逃亡」と言うのだ。

「約束を守ることは大事なことですよ」と教えてもらわなければいけない人間が、「法論約定」云々などと言う資格がないことを知れ。

 

それはさておく。

 

人の道にも悖る行為をしておきながら、樋田は全く悪びれることもなく、当方に対し、なおも「必ず正当で精緻な法論を実現し、正邪を決しましょう」などととぼけ、いま必死になって「敵前逃亡」を取り繕うためのパフォーマンスに狂奔している。

見ていて、痛々しくてたまらない。

たしか、樋田は法論約定をする前に法義論争をしないと言っていなかったか?

敵前逃亡の醜態を糊塗するためなら、それまでの主張を変遷させることに何の躊躇いもないところが、ペテン師然としている。

主張がブレまくっているところに、樋田の焦りがよく見て取れるぞ。

まあ、せいぜい「破折している感」をタップリ出して、印象操作をしてくれたまえ。

あがけばあがくほど、樋田の醜悪さが一層際だつというものだ。

 

とまれ、どんなに取り繕うとも、法論当日、約束の時間に樋田は会場に来なかったという事実は動かず、また消えることもない。
顕正会総体として臨んでこい!」
あの威勢(ハッタリ)はどこへやらだ。
以上、前置きが長くなったが、当方は約束した法論の日以降に樋田が何を喚こうが、樋田の敗北、顕正会教学部の勝利をここに宣言する。
樋田よ、もし当方と邪正を決する法論の実施を懇願するのであれば、まずは5月28日の法論から無断で逃避したことにつき、心から反省・謝罪するとともに、「次こそは逃げません」と誓約するように。

以上

浅野総部長らが法華講員・樋田昌志を論破!「敗走」を糊塗する樋田昌志の欺瞞を検証する

「樋田昌志」とは

 皆さんは、「樋田昌志」という人物をご存知だろうか。顕正会創価学会について動画検索すると、まれに、両会を誹謗中傷する動画をしきりにアップしている小太りの中年男の自撮り動画を目にすることがある。誰が書いたのか、似顔絵(と思しき)ヘタクソな絵がしばしば登場するのが特徴だ。

 このような小太り中年男の自撮り動画を見つけたら、まず「樋田昌志」のそれと判断して間違いない。

 その樋田が、浅野総部長らとの法論の様子をネット上にアップしたようだ。

 タイトルは、「実録音声データ!顕正会総務&男子部部長(当時)の虚偽捏造の登壇活動報告と 実際の対話での狂乱振りを暴く!

 いかにもユーチューバーらしい、視聴者ウケを狙ったタイトルである。

 動画の内容を一言でいえば、本年2月1日の顕正会の集会で依田部幹事が登壇した内容と、実際の法論の様子を対比して、依田部幹事の登壇を、「虚偽捏造の登壇活動報告」、「事実を極端に歪曲」、「虚偽虚飾の発表」等と中傷したものである。

 さっそく動画の内容を確認してみたが、これのどこが「虚偽捏造」なのか首を傾げざるをえない。むしろ、自ら回答不能となり逃走した法論の様子をアップするその厚顔ぶりには恐れ入るものである。

 とはいえ、さすがの樋田も、多少の後暗さがあったのであろう。ここでも、浅野総部長らの似顔絵と思しき作者不明のヘタクソな絵(しかも段々と大きくなってくる)や、おぞましいBGMを使って、必死の「印象操作」を試みている。そのわけは、冷静に、かつ客観的に対論の様子を検証すれば、樋田の「負け」は明白だからである。まことに涙ぐましい限りである。 

登壇内容は「事実」である

 では、依田部幹事の登壇内容は、果たして「虚偽捏造」なのか。

 結論から言えば、前述したとおり、依田部幹事の登壇は「事実」をそのまま述べたものにすぎないことがわかる。

 すなわち、樋田は、浅野総部長らに論破され、回答不能に陥った末、「不毛だ」などと誤魔化して法論の場から逃げ出しているのだ。

 ちなみに、「不毛」とは「なんの進歩も成果も得られないこと(デジタル大辞泉)」のことをいう。しかし、よくよく考えてみてほしい。宗門が御遺命に背いたか否かということは、全宗門信徒の成仏・不成仏に関する重大事であれば、これこそ白黒ハッキリさせなければならない事柄である。

 樋田は、「不毛」といえば体よく言い逃れできると思っているのか知らないが、詮ずるところ樋田自身が「進歩や成果」を得たくないだけなのだ。なぜなら、宗門の御遺命違背について議論を深めていくと、宗門にとって不都合な真実が明らかとなってしまうからだ。「不毛」という、都合のよい言葉で誤魔化したいだけなのである。

依田部幹事の登壇内容

 まず依田部幹事の登壇内容を見てみよう。 

 法論に関する内容を整理すると、次の①から⑧に整理できる。

 

① 浅野総部長らは、樋田に対し、宗門機関誌に掲載された「正本堂建立は即ち事の戒壇であり、広宣流布を意味するものであります。この偉業こそ、宗門有史以来の念願であり、大聖人の御遺命」との悪言を突きつけ、「正本堂を御遺命の戒壇と断言している。明らかな御遺命違背だ」と指弾した。 

② これに対し、樋田は、話をはぐらかそうとした。 

③ 浅野総部長らは、樋田に対し、「この文について答えろ!」と強く諌めた。 

④ これに対し、樋田は、「この文は間違えている。」と宗門の間違いを認めた。 

⑤ そこで、浅野総部長らは、樋田に対し、間髪入れず、「間違いを認めるなら、御遺命を破壊しているということだな!」と詰め寄った。 

⑥ すると、樋田は、「破壊はしていない。言い過ぎただけである」と言い訳をした。

⑦ これに対し、浅野総部長らは、「ないものをあると言っている。言い過ぎというレベルではない」と強く諌めた。

⑧ すると、樋田は、最後には、「逃げると思われても良い」と、たった10分で席を立ち、逃げて行った。

 

 以上が依田部幹事の登壇内容である。上記①ないし⑧を参照しつつ、法論における音声を聞けば、まさにこのとおりであったことが理解できるであろう。

 広辞苑によれば、「虚偽」とは、「真実でないこと。また、真実のように見せかけること。うそ。いつわり。そらごと」、「捏造」とは、「事実でない事を事実のようにこしらえること」をいう。

 樋田は、「虚偽」や「捏造」という言葉の意味を理解しているのであろうか。一体、依田部幹事の登壇内容のどの部分が、どのような理由で「虚偽捏造」だというのか。どの部分がどのように「虚偽捏造」なのかを説明できない「反論」など、およそ意味がないだろう。

 それを具体的に指摘できていない以上、単なる「負け惜しみ」と評価されても致し方あるまい。いわゆる「負け犬の遠吠え」である。

 「弱い犬ほどよく吠える」というが、この諺は、やはり、一分の真理を含んでいるようである。

樋田が回答不能に陥った箇所

 次に、樋田がどこで回答不能に陥ったのかを具体的に見てみよう。

 それは、樋田が、菅野慈雲が「正本堂は御遺命の戒壇である」旨を断定した文証について、「単なる言い過ぎだ」と弁明したのに対し、浅野総部長らが「『御遺命の戒壇ではない』建物を、『御遺命の戒壇である』と言っている。ないものをあると言っている。真逆ではないか。単なる『言い過ぎ』というレベルではない」旨を反詰した箇所である。

 確かに、御遺命の戒壇の意義について、わずかに異なる内容を述べてしまっただけであれば、まだ「言い過ぎ」や「はみ出し」という弁明が成り立つ余地があるかもしれない(勿論、御遺命の重大性に鑑みれば、そのこと自体、極めて問題ではあるが)。

 しかし、菅野慈雲の発言は、明らかに、御遺命の戒壇ではない建物を「御遺命の戒壇だ」と断定しているのである(すなわち「真逆」である)から、常識的に考えて、単なる「言い過ぎ」や「はみ出し」で済むレベルの話ではない。これは、ごく一般的な日本語教育を受けてきた人間であれば、誰でも理解できる事柄であろう。この点を、浅野総部長らは追及したのである。

 ところが樋田は、この浅野総部長らの追及に対し、ただ「言い過ぎただけ」と繰り返すだけで、この点について明確な反論ができなかった。

 すなわち、御遺命の戒壇ではない正本堂を指して「御遺命の戒壇である」と真逆のことを断言した所業が、なぜ「単なる言い過ぎ」として許されるのか、その「理由」を全く説明できなかったのである。

 おそらく思考停止に陥り、まともな反論が思いつかなかったのであろう。まるで駄々をこねる幼児のように、「言い過ぎただけ」と答えになっていない発言を必死に繰り返していた。

 そして、最後までまともな反論ができないまま、「不毛だ」などと格好をつけながら法論から逃走したのである。まことに「幼稚」と評する以外にない醜態である。

 それにしても、このような醜態をネット上に自ら晒しているのは理解に苦しむ。まさか自らの「敗走」を理解できぬほど悩乱しているわけではあるまい。大方、「法主絶対論」で洗脳されている無知な法華講員であれば、先の「印象操作」により、自分の肩を持ってくれるとでも踏んだのであろう。法華講員も見下されたものである。

 なお、参考までに、法論の様子を音声からテープ起こししたものを掲載しておく。

参考:浅野総部長らと樋田氏との法論(テープ起こし)

浅野:じゃあ、今、録音しましたので。音声のみでいいですね。

樋田:はい、じゃあ始まりました。

浅野:いいですか。はい。

樋田:これ、暖房とかは。

依田:今、入れましたよ。座って下さい。

樋田:ちょっと待って下さい。

浅野:まあ。まあ。

樋田:失礼な格好じゃいけないですからね。

浅野:録音、入れました。

依田:入れましたよ。

以下、「①浅野総部長らは、樋田に対し、宗門機関誌に掲載された「正本堂建立は即ち事の戒壇であり、広宣流布を意味するものであります。この偉業こそ、宗門有史以来の念願であり、大聖人の御遺命」との悪言を突きつけ、「正本堂を御遺命の戒壇と断言している。明らかな御遺命違背だ」と指弾した。」の部分

浅野:ああ、入れました?はい。じゃあ今回はまずこちらから、御遺命のことについて、伝えてよろしいでしょうか。

樋田:はい。

浅野:えーっとですね。あの。実は宗門では正本堂を御遺命の戒壇と断定しているので、これは明らかに御遺命破壊だということで、今、文証挙げますね。

樋田:はい。

浅野:昭和42年の11月の大日蓮に載っているんですけども。菅野慈雲・宗会議員です。「正本堂建立は即ち事の戒壇であり、広宣流布を意味するものであります。この偉業こそ、宗門有史以来の念願であり、大聖人の御遺命であり、日興上人より代々の御法主上人の御祈念せられて来た重大なる念願であります」と。

で、ここに正本堂建立は即ち事の戒壇で、広宣流布を意味する。この偉業こそ、宗門有史以来の念願であり、大聖人の御遺命である、ということを断言してるので、正本堂を御遺命の戒壇と断言してると。御遺命破壊ですね。

樋田:え。

浅野:以上です。

樋田:それで終わりなの?

浅野:終わりです。

以下、「②これに対し、樋田は、話をはぐらかそうとした。」の部分

樋田:あの。もともと47年の訓諭で、結局。

以下、「③浅野総部長らは、樋田に対し、「この文について答えろ!」と強く諌めた。」の部分

浅野:訓諭じゃなくて、いや。ここでまず言ってるんです。

樋田:いや、それは、前判、後判って知ってる?前判、後判があって。

浅野:ここで。それは訓諭の。違くて。話そらさないで下さい。

樋田:そうじゃないよ。訓諭で。

依田:今こちらが話をしたでしょ。その内容について答えてみなさいよ。

樋田:菅野さんというのは。菅野さんというのは猊下じゃないでしょ。

浅野:でもこれは明らかに正本堂を御遺命の戒壇と言ってるよね。

以下、「④これに対し、樋田は、「この文は間違えている。」と宗門の間違いを認めた。」の部分

樋田:だから、それは間違いですよ。

浅野:言ってるじゃん。

樋田:だから、その言葉は間違い。

依田:じゃあ宗門は間違いを認めてる。

浅野:間違い認めてるね。じゃあ。

樋田:それは間違いですよ。

浅野:間違いを認めるんだね。

依田:宗門の内の一人なんだから間違い認めてるんだよね。じゃあ。

樋田:はい。

浅野:間違い認めてる。

依田:宗門、間違い認めましたよ。

浅野:じゃあ宗門、間違い認めたね。

樋田:その言葉は間違っている。

浅野:正本堂は御遺命の戒壇というのは間違いね。

依田:いやいや。宗門が。いやいや宗門の看板背負ってる菅野慈雲が言ってるんだから認めてるんでしょ。

樋田:うん。まあ。でも猊下でもないし。

浅野:じゃあ、いいよね。この言葉は御遺命破壊だと。それは認めますね。

樋田:その言葉は良くないね。

以下、「⑤そこで、浅野総部長らは、樋田に対し、間髪入れず、「間違いを認めるなら、御遺命を破壊しているということだな!」と詰め寄った。」の部分

浅野:うん、御遺命破壊だよね。これは。

樋田:いや。破壊っていうか。

依田:いや破壊じゃない。

浅野:まあ違背ですよね。

樋田:だって猊下じゃない人が言ってるんだから。

依田:いやいや御遺命ってのは、1mmでも出たらさ、破壊になるんだよね。

樋田:あなたさあ。ねえ。

浅野:いいですよ。だからこれは御遺命違背ですよね。

樋田:こういうさ、キャッチボールする会話をしないでさ。

依田:ええ。まともに答えてくれないんだもん。まともに答えてくれたらね、こちらが口はさむことはないですよ。

樋田:もし浅野さんだけだったら、もうちょっと。少し。ちょっと落ち着きましょう。

浅野:依田部長、いいよ。

依田:じゃあ、ちゃんと話して下さいよ。

樋田:うん。だから。猊下は。

浅野:ちょっと先にいいですか。これは御遺命破壊ですよね。この御文は。

以下、「⑥すると、樋田は、「破壊はしていない。言い過ぎただけである」と言い訳をした。」の部分

樋田:破壊って言葉は納得しないけど。

浅野:いや何で?だって無いものを。

樋田:よろしくない。いき過ぎ。

浅野:いや違います。無いものをあるって言ってるんだよ。

樋田:いや、いき過ぎの言葉だと。

浅野:無いものをあるって言ってるんだよ。無いものをある。

樋田:破壊っていうのはさ。

以下、「⑦これに対し、浅野総部長らは、「ないものをあると言っている。言い過ぎというレベルではない」と強く諌めた。」の部分

浅野:無いものをあるって言ったら、全く真逆だよね。

樋田:立場のあるね。

浅野:ないものをある。あ、誤魔化さないで下さい。

依田:キャッチボールって言ったから黙ってるんだよ。

浅野:誤魔化さないで下さい。

依田:樋田さん。樋田さん。樋田さん。樋田さん。キャッチボールって言ったからこっち黙ってるんだよ。

樋田:じゃあ、破壊じゃありません。

浅野:無いものをあるって言ってるんだよ。

樋田:破壊じゃない。

浅野:何で?

樋田:いき過ぎがあっただけであって、破壊じゃない。

依田:わかってないですね。御遺命の大事がわかってない、この人。

浅野:無いものをあるって言ったら、いき過ぎじゃないでしょ。真逆でしょ。

樋田:だから菅野さんだって。猊下じゃないもん。

浅野:真逆でしょ。

依田:立場じゃないよ。宗門の人間が言ってるってことでしょ。

樋田:浅井先生が言っているのと、それから総務のね、浅野さんが言ってるのとでは、価値が違うでしょ。

依田:公の場ですよ。何言ってんですか。

樋田:同じことですよ。

依田:公ですよ。公の場でしょ。

樋田:公ですよ。法華講のね、私とこうやってやるのは。

浅野:私、話しますからね。依田部長、いいですよ。

樋田:いや、でもいい。あなたのね、こういう人間性

依田:いいから話しなさいよ。

樋田:こういう人間性が、記録が撮れて非常に有難い。

依田:そんなことはいいよ。いいから。早く話しなさいよ。

浅野:無いものをあると言ってるんだから、これはいい過ぎとかはみ出しのレベルじゃないよね。どう?無いものをあると言ってるんだよ。真逆だよね。

樋田:言い過ぎです。

浅野:真逆では間違いないよね。

樋田:言い過ぎです。

浅野:だって無いものをあると言ってるんだよ。

樋田:何度言われようが、言い過ぎです。

浅野:無いものをあると言ってるんだよ。

樋田:のちの猊下がそう言ってるんだから。

浅野:白を黒と言ってるんだから。

樋田:言い過ぎがあったと。

依田:そんな道理はない。

浅野:白を黒と言ってるんだよ。

樋田:それでずっとやり続けるんならいいよ。言い過ぎでした。

浅野:ああ、やりますよ。でも白を黒と言ってるんだよ。

樋田:言い過ぎです。破壊じゃありません。

浅野:白を黒と言ってるんだよ。

依田:あなたが言ってるのはグレー。

樋田:はい、言い過ぎでした。

依田:あなたが言ってるのはグレー。

樋田:破壊じゃありません。

浅野:おい。逃げるな。

樋田:言い過ぎでした。破壊じゃありません。

浅野:逃げるなよ。

樋田:言い過ぎでした。いや、これしかないもん。答えようがないよ。

浅野:答えようがないんだろ。

依田:グレーは無いよ。白か黒かって言ってるんです。

浅野:答えようがないんだろ。

樋田:こんな不毛なことをさ、2時間ずーっとやるんだ。

依田:不毛じゃないよ。大事な御遺命だよ。

浅野:こちらはここを認めないと。

樋田:じゃあいい。じゃあやります。お付き合いするよ。はい、言い過ぎでした、それはね。

浅野:白を黒と言ってるんだよ。

樋田:破壊とまでは言えない。

浅野:白を黒と言ってるんだよ。

依田:言い過ぎってのはグレーでしょ。

樋田:破壊とは言えません。ああ。グレーだよ。そう、グレーってのは破壊じゃないよ。

塚本:破壊じゃないじゃないですか。グレーです。

樋田:それ。グレーっていうのは破壊じゃないんだよ。

依田:あなたが言ってるのはグレーであって。御遺命にグレーはないんだよ。

塚本:さすがです。グレーです。

樋田:破壊じゃない。

依田:御遺命にグレーはないんだよ。白か黒かって話をしてるんだよ。言い過ぎやはみ出しって言って。

浅野:おい。逃げるんじゃないよ。逃げるんじゃないよ。

樋田:ひたすら言い続けてやる。

浅野:ああ、いいよ。

依田:言ってみな。

樋田:破壊ではない。言い過ぎである。

浅野:逃げるんじゃない。

依田:じゃあ、ここに言ってるのは何なの?

樋田:2時間、いい大人がこうやって。

依田:ここに言ってるのは何なの。

浅野:こちらは一方的に、これで。

樋田:もっと色んなこと進めたいんですけど。

浅野:これで答えられないのがわかればいい。いいんだよね。これでいいんだよ。

樋田:いいじゃないですか。あなたは破壊だと主張すると。

浅野:いや、だから白を黒と言っている。

樋田:こっちは破壊ではなくて、ただの言い過ぎだって言ってるんだよ。

依田:じゃあ、答えられないんだね。

浅野:答えられないんだね。

依田:答えられないってことは。

樋田:言い過ぎだって言ってるじゃん。

浅野:無いものをあるって言うのがなんで言い過ぎなの。無いものをあるっていうのは真逆じゃない。

樋田:いい大人が。いい大人がね。

依田:ははは。

浅野:これでいいんです。これでね。ほら。

樋田:これで2時間もやるの。

依田:こうやってはぐらかすんだ。答えられないからはぐらかす。

樋田:じゃあ、もしね。本当にこの話題から、本当に進めるのが無理だったら、これを2時間やるのはあまりにも不毛だから、これで終わりにしますわ。

浅野:ああ、じゃあ逃げて下さい。どうぞ。答えられないんだったら逃げなさい。

樋田:いや、最後まで言い続けます。破壊ではなくて。

塚本:御遺命の話をしましょうって。御遺命。

樋田:破壊では。

依田:負けを認めるんでしょ。

樋田:破壊ではなくて。

浅野:逃げるんじゃないよ。

樋田:他のことでさ、準備されてるから、いなくなられるのが困るんだ。

依田:何ではぐらかすんだろうね。

樋田:でね、あの。

浅野:逃げるんじゃないよ。

依田:このことについて答えればいいじゃない。

浅野:逃げるんじゃないよ。

樋田:えーっと、こっちは言い続けているから。これは破壊までは。そこまでは言えるような内容ではない。

浅野:無いものをあるというのは真逆だよね。じゃあ、ないとある。どう?言葉のね。

樋田:同じことをさ、壊れたテープレコーダーみたいにさ。

依田:でも実際そうだよね。

浅野:ないとあるって、どっち。ないとあるって、逆じゃないの。

樋田:えー、まず、結論。こっちの見解は結論として。

浅野:ないとあるっていうのは真逆なの?

樋田:言い過ぎであって破壊とまでは言えないです。

浅野:ないとあるは真逆じゃないか。

樋田:もし、これを2時間続けるんだったら、本当にこれは不毛なんで、申し訳ないけど。

浅野:逃げるんじゃないぞ。おい、逃げるなよ。

以下、「⑧すると、樋田は、最後には、「逃げると思われても良い」と、たった10分で席を立ち、逃げて行った。」の部分

樋田:逃げるというなら、逃げるでもいいですよ。

依田:樋田さん。ねえ。樋田さん。

浅野:あ、逃げるんだね。逃げるんなら逃げていいよ。

樋田:その人間性がいいよ。はい。これを私が逃げるというでのあれば、そういうふうに思うのも自由。

浅野:あ、じゃあ結構ですよ。逃げていいですよ。

依田:樋田さん、あんたちょっとおかしいね。どうなんですか。ねえ。ねえ。

塚本:法論しようと言ってる。

浅野:だから言ったじゃないですか。

依田:樋田さん。樋田さん。ねえ。ねえ。樋田さん。樋田さん。

樋田:論議させてもらうために、一生懸命勉強してきて。色んな話題を持ってきているの。

依田:いいですか、樋田さん。御遺命に関してさ。

樋田:もったいないと思わない。次の話を。

依田:御遺命って大聖人様のさ、仰せで一番大事なことじゃない?

樋田:一応ここはさ、意見が合わなかったでいいじゃないですか。

依田:全部白じゃなきゃいけないじゃない。それがさ、グレーになってしまっていいことなんですか。

樋田:あなたの判断とこちらの判断が噛み合わなかった。じゃあ、それはそれとして、次へいけばいいじゃない。

依田:おかしいでしょ。

樋田:一個ずついきましょうよ。

依田:一個ずつ来てるじゃない。それを答えられないんだよ。

樋田:じゃあ本当にこれを。

浅野:単語の意味。

依田:無いのとあるかを答えられないんだよ。

樋田:本当に続けるの?

浅野:続けますよ。

樋田:ああ、それは俺、もう無理。

浅野:言ったよね。言ったよね。簡単に終わるって言ったじゃない。これでだからすぐ終わるんだよ。時間なんかかからないんだよ。例えばさ、単語の意味で。あるとないって単語の意味で逆じゃない?真逆じゃない。

樋田:世の中そんなにね。曖昧に。曖昧に。その。

依田:世の中じゃなくてさ、質問に答えようよ。

樋田:白黒、是と非だけじゃないですよ。

浅野:単語の意味答えてよ。

依田:イエスかノーで聞いてるんだよ。イエスかノーを答えられないとなれば、どうしても法論ではさ、逃げるってことになっちゃうよ。

塚本:答えはイエスかノーだけじゃないでしょ。

依田:イエスかノーを聞いてるんだから答えてよ。イエスかノーを聞いてるから法論なんだろ。

浅野:逃げるんじゃないよ。

樋田:これを聞いた人がね。これを聞いた人が。

依田:それが答えられなかったらさ、逃げることになっちゃうじゃん。なっちゃうじゃん。

樋田:はい、あなたが逃げるって言うんだったらそれもいいでしょう。

浅野:あ、じゃあ逃げるでいいよ。じゃあ逃げて下さい。

依田:認めた。

浅野:帰ってください。

樋田:あなた方が言うね、逃げるならそれでいいわ。

浅野:帰って下さい。ね。はい。この一言で終わり。

依田:一つも答えられないんだもん。

浅野:一つも答えられない。これで終わり。

依田:イエスかノーも答えられないんだもんね。ねえ。ねえ。

樋田:こんな不毛な内容をね、2時間はとてもじゃないけど続けられない。

依田:いや。いや。あるのかないのか。小学生でも答えられる答えを答えられないんでしょ。樋田さんが。

浅野:はい、逃げた。はい、逃げます。

樋田:じゃあ行きましょう(と言って席を立つ)。

浅野:おい、逃げるなよ。何をやってるんだよ。答えられないのか。

塚本:これを言いにきたの。

依田:そういうことだよ。

浅野:おい、この一言で答えられないのか。

樋田:あれ、だって今、いいって言ったじゃないですか。

浅野:はい。いいよ。じゃあ逃げな。逃げるんだろ。

樋田:あの、これは、あの発表するからね。

浅野:どうぞ。どうぞ。

塚本:そんなこと言いにきたの。

樋田:これをね。あの、世間の人が聞いたら、これ、たいへんな、あの、話題になりますよ。

浅野:いや全然平気ですよ。どうぞ。帰ってください。

依田:イエスかノーも答えられないんだ。

浅野:イエスかノーも答えられない。ね。

依田:あー笑っちゃうね。なんかもっとさ。なんていうの、筋通して話ができるかと思った。俺。

塚本:そうしましょうよ。

依田:がっかりだわ。あーがっかり。

浅野:これで終わりなんですよ。はい。はい。逃げて下さい。

樋田:はい。じゃあ逃げるというなら逃げましょう。

浅野:はい、OKです。

樋田:あなたみたいな、こういう不毛な会話をね。

浅野:はい。答えられないから。答えられないから逃げるんでしょ。

依田:自分に都合が悪くなると不毛になっちゃうんですね。

浅野:はい、答えられないから逃げます。

依田:自分が都合悪くなると不毛になっちゃうんですね。

浅野:ほら、逃げますよ。答えられない。これが実態だからね。

塚本:次行きましょうよ。次の。

浅野:だからこれで決着付くんだよ。

依田:これから逃げるんだから。一緒について逃げていけば。ついて逃げていけよ。

浅野:逃げるなら逃げるでいいって言ってるんだから。

依田:逃げてるじゃん。ほら。付いて逃げて行きなよ。

塚本:それで満足なんだ。

依田:だって逃げるんだろ。

樋田:いいじゃん、いいじゃん。逃げる、逃げるというふうにさ。

塚本:それで満足なんだ。ねえ、御遺命ってこんなもんなの。

依田:だから答えろって言って答えられないんだもん。

浅野:答えられないんだもん。

依田:イエスかノーかも答えようとしないんだろ。

塚本:何?イエスかノー。だから御遺命。

依田:だから不毛なんでしょ。不毛なんでしょ。イエスかノーかを答えられないんでしょ。

樋田:この人たちは自分がね、今どれほど人間性を。

依田:いいから。もう席立ったんでしょ。こっちに聞こえるように言わなくたっていいから。

樋田:でも、これを記録録って、発表すれば、もうそれで十分だから。

依田:あなたそれでいいんだから。席立ったんだから。

樋田:浅野総務と。それと。

塚本:依田部長です。

樋田:じゃあ、これ発表します。それでいいでしょ。

浅野:いいですよ。いや、だめだめ。発表はだめ。発表はだめですよ。

依田:でも認めたんだよね。逃げるの認めたんでしょ。逃げるのを認めたんだよね。自分でね。

浅野:でもいいか。逃げちゃいますからね。

塚本:ああ、嬉しいんだ?それで。

浅野:今後、じゃあこれでね。樋田さんが来たらこれでやればいいということですね。

依田:樋田さん。答えられないのは全部、イエスかノーか、これから聞いても、じゃあ同じことするの、これからも。樋田さん、今後もこういうふうにするの。ねえ。そうしたら。

浅野:あー。逃げちゃうんだ。本当に。

依田:今後もこうやってやるの?

浅野:あー本当に逃げちゃうんだ。 

依田:今後もこうやってやるの?ねえ。

浅野:本当に逃げちゃうんだ。

依田:今後も、ねえ。これからやる機会あったらこうやってやるの?

浅野:口出せないんだよ。間違っているのわかっているから口出せないんですよ。ね。あら、本当に逃げちゃうんだ。わー情けないな、やっぱり。御遺命を破壊しているだけあるね。これ悔しいんだよね。御遺命破壊しているからね。一言も言い返せないで逃げるという。

樋田:いい記録、録りました。

浅野:どうぞ。

樋田:はい、じゃあ、浅野総務と依田部長。ご苦労様でした。

以下、略。